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「糸」平成という時代

評判のいいラブ・ストーリーだ。
泣ける映画だった。老人は涙腺が女子高生並になっている。
ただこの映画、恋愛以外の違う意図があるのでないか、そう感じた。

子供の頃に離ればなれになり、巡り巡って絡み合った糸のような再会と別れ。それでも最後はハッピーエンドとなる恋の物語。
その表層しか読み取れないと、よくある話、くだらない、真実味がない、つまらないと感じる人もいるだろう。

私は平成元年に結婚している。
そして令和になり子育ても、仕事も、家のローンも全てを終えて、年金暮らしだ。
平成、この時代を人生のメインストリートとして生きてきた。本当に色々なトラップとアクシデントがあった。それでも何とか生き抜いている。理由はある。
そんな私だから、この映画はただの恋愛映画以外の意図も読み取れたのだと思う。

平成元年生まれの男女、まず平成という時代を強調している。
平成30年が終わる時、30才。ここまでの物語だ。ここがポイントだ。
この平成という時代の総括が物語の主体となっている。
この平成時代、日本では世界でも、人間の色んな繋がりが劣化し、分断していった。

映画では、親のDV、離婚、震災後の家族の分断、家族の不慮の病死、誠実さに対する裏切り、金だけが世界の男達、なんのリスペクトもない同業者、消費者としての人間の欺瞞。色んな形での人間の破綻と分断が、かなりの量でぶち込まれている。
これは恋愛映画としては、やり過ぎだろうと思う程だ。
でもこれは意図的だと思う。
友達、夫婦、親子、お互いの生きている世界を理解できない。
最後は独りぼっち。

終盤になり、普遍の愛を注ぐ子供食堂の婆さんが、わずかな救いとなる。
令和となる前日、平成の最後の日、いまだに子供達に食事を出し続けていた。
その子供食堂で子供の頃、ご飯を食べた彼女。久しぶりに、そこでご飯を食べた時に気づく。
分断した世界を繋げる、悲しみを分かち合え、信じられる人間はいる。
ここでの小松奈菜と倍賞美津子の演技はいい。もうここで私はウルウルしてくる。
そして、彼女は最後になって彼を理解し、その行動を予測して、故郷から遠ざかるために乗った舟(フェリー)から降りた。
そこに彼がいるはずだと信じたからだ。
私はそのシーンで涙腺が崩壊する。
人間はまだ大丈夫だ。
彼の最後の言葉は想像通りだった。

小松奈菜はいい
「恋は雨上がりのように」「僕は明日、昨日の君とデートする」の映画を見てたこともあり、小松奈菜はいいなと思った。
娘1(長女)がファンだと言っているのも分かる。
涙とか悲しみの表現にあざとさがない、自然でいい演技だ。
さて、この映画では、彼氏役の菅田将暉もいいねぇ、田舎くさい青年の演技が最高。
しかし、斎藤工はどこに消えた・・沖縄にるのか。

   島原半島で

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