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ほぼ練習時間を捻出するための人生とも言える

通勤サイクリング
タマサイ(多摩川サイクリングロード)が世間でそんなに有名で無い頃。1988年、タマサイを使って、調布ー川崎間、約25kをロードバイク(自転車)で通勤していたことがある。黎明期のトライアスロンを知った私、その練習の一貫だった。

時代背景
1988年と言えば、バブル時代。昭和の末期だ。当時川崎にある大きなビルで半導体工場などの設備設計をしていた。ようやく自社のパソコンやCADが使えるようになった頃だった。残業はデフォルト。残業なければ飲み会、そんな時代背景だった。

往き
朝早く、大体6時半に家を出た。信号もない早朝のサイクリングロード。人も少ない。平均時速30k程度なら50分くらいで会社へ着く。電車通勤より早い。満員の南武線にも乗らずに済む。
天気がよければ、気持ち良く練習が出来る。この時代、川崎はまだ車の排ガスが酷い時代だったが、朝は空気が汚染されていなかった。

帰り
さて問題は帰路だ。バブルで右肩上がりのこの時代、残業は当たり前、残業代は想像以上に出た。でも業務は今で言うブラックだ。無理な飲み会、パワハラなんでもある。
そして終わらない仕事を切り上げる。当然だが外は夜になる。
自転車のライトもLEDなんて無い時代。光度も低いし、電池も直ぐに無くなる。
タマサイは外灯も少なく、真っ暗な場所も多い、路面も悪い。また河原なので、何が起こるかわからない。帰路は常に冒険だった。

真夜中の冒険
夏場は特に危険だ。夜9時を過ぎると、変な輩が雨後のキノコのように出没する。
土手でたむろしている暴走族にからまれることもあった。ヤンキー達にロケット花火で狙われたこともある。その時代、登戸など川沿いは連れ込み旅館が多い。アベックとか酔っ払いもうろついている。

暗い中全速力で走っていると、サイクリングロードの真ん中に人が倒れていたことがあった。危なく轢くところだった。
「死人?」
と思ったが、関わりたくないし、おそらく酔って寝ているのだろう。
見なかったことにして通り過ぎる。携帯電話なんかないし、どうしようもない。

雨の中、黄色モンベルのストームクルーザーを着て走っていと、目の前を大きな動物が横切った。
「犬だ」
一番厄介なヤツだ。自転車を追ってきた。
「全く、疲れているのに止めてくれ!」
とりあえず振り切るため全力で走る。
2kくらい追いかけられた。練習にはなったけど夜中の野犬は怖い。

会社のロッカーは部室ではない!
この自転車通勤、ロードバイクを男子更衣室に運び込んでいた。当時50万近い自転車を外には置けない。
また汗だくのジャージをロッカー室内に干していた。
ある日、課長に呼び出された。
「あのさぁ、臭いよ、自転車も邪魔だ」
「はい、でも普段はだれもいないし」
「言っとくけど、会社のロッカーは部室ではない。後、自転車をエレベータに乗せないで」
色々と怒られた。
反論も面倒なので、この自転車通勤は1年で止めた。
会社でも有名になっていたこともある。とにかく目立ちたくない、目立つと絶対文句を言う人間が出てくる。練習はダマテンでやりたい。

運動と健康
運動の権利とかその効果と素晴らしさなんて、会社では言えない時代。個人の自由はないが、事務所に灰皿はある。そんな時代だから、それを言っても相手は理解不能。多勢に無勢だった。それでも、可能な限り練習時間を捻出して、仕事とトライアスロンを両立させていた。

賛同者
その当時、中堅社員研修があり、休日を潰して参加させられた。
当然、練習はサボれない、試合に向けてのスケジュールというものがある。
夜にチームで集まって、課題をやるのだが、大体終わるのが夜の10時。
風呂が12時までなので、直ぐに外に走りに行く。
研修所は山の中、外は真っ暗だ。月明かりの中を走る。結構怖い。
「俺、なにやってんだろう」

研修の最後の日、今の目標と現状を各自、10分間スピーチをした。
皆が社内改善とか会社での自分の立ち位置とか、そんな話をしていた中、
私はやけくそで、トライアスロンの試合に向けて練習を続けており、会社で続けるのは大変厳しい状況だと話をした。
その時は、特になにも参加した部課長からはコメントは無かった。

研修会から数ヶ月後、会社で偶然、その研修会に参加していた課長と会った。
「まだ、練習しているの?」と課長が言う。
「はい」
「あのときのスピーチ、感動したよ、頑張って」
と言われた。総務部の人だから、後日、私はトライアスロンの事を社内誌に書くことになった。

少しずつ世の中は変わってきた。

1989年、そんな破天荒な生活をしていた私でも結婚する。
その時代は誰でも、気持ちさえあれば結婚は出来た。
(個人の感想です)
結婚後、家庭と仕事と練習で、さらなる困難にぶつかる。
それでも練習をする。

自分の生き方は、練習時間を捻出するための人生とも言える。

35年経った今
東京オリンピックの開会式、急性心筋梗塞で倒れ死にかけた。運動しても病気にはなる。DNAの怖さだ。
そして奇跡の復活。
今度は練習がリハビリとなる。
人生のエンドロールもなく、行き倒れするまで運動を続けるようだ。
(笑)

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