無意味なことでも、意味を持たせればいいと思う
生きている中で、意味ないなと思うことってたくさんあると思う。確かに無駄なことはたくさんあるけど、その中で自分で工夫したりできるかが大事かなと最近じみじみと思う。
「意味ないのかもしれない」という不安
意味あるか?と疑問を持つことって、この世にたくさんある。学校や仕事などで、勉強や業務に励むうちに、「今やっていることは意味あるのか?」、「今後何に活かされるのか?」と考えることもあると思う。
そう思っている頃には、既に勉強や業務などに慣れてきて、結果ルーティーン化されて同じことの繰り返しになってる状態になっていることが多い。確かに自分自身も地道な作業だったり勉強とかコツコツやっていく中でそういった状態、気持ちになることがある。
「同じことの繰り返しで、これは今後の役に立つのか??」
「こんなことをしていてこの先大丈夫だろうか…」
こんな想いが頭の中で巡って、不安が溜まることも。仕事の業務に関しても、最初は右も左も分からない状態から、試行錯誤して段々とできることが増えていき、慣れていく。
そのままずるずると続けていると、そのやることに対してのモチベーションが下がってしまって勉強や仕事にも支障が出てくることもある。そんな時は、「意味を持たせるようにする」ことが大事だと思ってる。
「意味を持たせる」という工夫
「意味を持たせる」というのは、自分から行動して工夫していくというイメージ。
勉強だったら、暗記するときにノートに書いてたのを、声を出しながらノートに書いたり。
そんなちょっとしたことでも、変えてみるだけで見える世界が変わってくる気がする。
工夫していくと、結果が変わってその結果が良いものだったらもっと工夫しようと思うし、もっと良くなる。
そう考えると、結局意味があるかどうかは自分次第、な所なのかもしれない。何か物事を続けていて、慣れてきたな、飽きてきたな、と思ったら、自分なりに工夫してみて「意味を持たせる」ことに集中すると良いかもしれないと思った話。