K634

小説書いてる人。 それだけでは食べていけていない人。 文字を連ねていると、過去にも、未来にも、世界中どこへでも、視えない世界、違う扉を開いた世界へも、何処へでも行ける。そして、いろんな人や物に出会える。 ここnoteでは、主人公「俺」の過去の物語を紡いでます。ほぼ実話です。

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小説書いてる人。 それだけでは食べていけていない人。 文字を連ねていると、過去にも、未来にも、世界中どこへでも、視えない世界、違う扉を開いた世界へも、何処へでも行ける。そして、いろんな人や物に出会える。 ここnoteでは、主人公「俺」の過去の物語を紡いでます。ほぼ実話です。

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アルバイト歴を晒せ

#このタグを見た人はアルバイト歴を晒せ というハッシュタグの付いたSNSで見てしまった。もちろん馬鹿正直に指示に従わなくてもよいのだが、ちょっと思い出してみたら、面白いくらいにその頃の情景が、出てくる出てくる。 そしてその晒したSNSは、いつもの投稿より少し反響が多かった。 あらためて見返してみると、その一つ一つに様々なエピソードがあって、その一つ一つが「経験」となって今の自分を形成しているなぁってね。ちょっと感慨深くもあったりして。 そこで、自分を作っている分析っていうよう

    • 『社会人1年目を舐め切りながら満喫・・・それからそれから』

       前回までのように、いやいや、そもそもの性格が問題なんだろう。そんな感じで社会人1年目「こんなんでイイんだ。ちょろいな社会人」と勘違いして、更に舐め腐った態度で仕事?にのぞむようになっていくわけでした。  基本的にやらねばならない課題的に与えられている日々の仕事は、そつなくこなしていた。日中はほぼさぼりながら午後ゆっくり目に、ちょいと街の電気屋に営業回ってネタを拾いながら雑談してって感じ。その店主からの紹介で次の訪問先見繕ってもらったり。まぁこの辺りは、ある意味正しい営業訪問

      • 『ぷりもぴあーの』という酒場

        序章 『ぷりもぴあーの』 Primo piano 意味はイタリア語で建物の2階の事 直訳すると最初のフロア=1階となるが、 ヨーロッパ圏では、地上階が0階 = ground floor となるため、 日本でいうところの2階の意味。 所沢駅の西口に出ると 北側に当たる右手方面に伸びる商店街がある。 「プロぺ通り商店街」地元の人は〝プロぺ〟と呼ぶこの道を抜けて 一番古いタワーマンションを左手に見ながら過ぎたところに 〝根岸の交差点〟この変則の4差路を さらに西にカーブしながら

        • 『社会人1年目を舐め切りながら満喫・・・そして』

             電波新聞社入社して2-3ヶ月も過ぎると、基本的なルーティンは出来てきていた。まぁ新入社員なりの与えられた仕事内での話ね。 基本的に朝イチ出勤後は ・全体朝礼 ・部署朝礼 ・自分の仕事段取り ・当日予定を課長に報告して外回りへ ・担当地域周り となるのだが、 外回りと言っても、ほとんどアポなど取れるわけもなかったので、基本は飛び込み。これも町の電気屋さんへがほとんど。ただし、そんな昼前に暇している電気屋なんかあるわけ無いのですよ。だいたい町の電気屋さんて、店に並べているも

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        • アルバイト歴を晒せシリーズ
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          『職務歴を晒せ!!としてシリーズをマイナーチェンジーー憧れの新聞記者になりました』

            前回まで『アルバイト歴を晒せ』シリーズとして、過去にやったアルバイトの内容や、そこでのエピソードなどをさらさせていただき、その流れで大学4年での就職活動なども“晒させて”いただいていました。    時系列に合わせて、今回からはマイナーチェンジ『職務歴を晒せシリーズ』として展開させていただきたいと思います。     以前に書かせていただきました 『アルバイト歴を晒せ』にて 書かせていただいた、ちゃんと就職した履歴も参考にしていただければと思います。    時は1991年

          『職務歴を晒せ!!としてシリーズをマイナーチェンジーー憧れの新聞記者になりました』

          「またまた番外編 就活締め括りの内定日=拘束日」

             ここ数回はアルバイト歴の話してませんね。なんとなく仕事括りってことで、深く考えずに流してください。    そして就職活動はなんだかんだで、数社から内々定頂いてました。では、最終的に何処に決めたか?そして何故その企業に決めたのか?     前述の通りのマスコミ志望、の中でも成りたかったのは新聞記者でした。そして仕事覚えて地力つけたら、フリーになってルポライター的な活動をしたいと考えてました。当時の漠然とした夢では、1人のプロスポーツ選手に付いて回ってその彼のストーリーなん

          「またまた番外編 就活締め括りの内定日=拘束日」

          「就活話が止まらないので もう一つ番外編」

              就職活動話が止まらないので、もう一つ。  改めて当時のこと思い出しながら書いていると、その業界を本気で目指している方や本気で実際に働いていらっしゃる方々に、大変失礼な就活していたわけですが、実は『警視庁警察官』の試験も受けていました。これは高卒で警視庁の婦警さんになっていた友人のデコちゃんに『受けるだけでいいから、受けてもらえると私のポイントになるから』って話から始まり、自分的にも就活マニアな感じになっていたので、公務員試験を受けておくのもの悪くないなってなっての記念

          「就活話が止まらないので もう一つ番外編」

          『ある意味バイトの番外編②』

             今の時代、就活ってなかなか大変そうだよね。そういった苦労をされている方々には、ほんと申し訳ないくらいふざけた就活しながら、お金までいただいてバイト代わりにしていたっていうのが前回までの話。そんな流れで、バイト話から少し離れて当時の就職活動の話させてもらいますね。  まぁそんなわけで、就職として興味ない業種の説明会にも参加したりしてたのですが、それも行ってみると面白いもので、そこで働いている方、しかも基本的に自分の会社に愛情ある方が自社の説明をするわけじゃないですか。もち

          『ある意味バイトの番外編②』

          『ある意味バイトの番外編①』

               前回までに、中学生〜大学生までの間でやった『アルバイト歴』をほぼほぼ晒したわけで、さて次回(今回)からはどうするか?って感じで終わりました。さぁどうしましょ?と考えてましたが、このnoteでは、なんとなくアルバイト歴を晒しながらの自分史みたいになってますので、ここは時系列通りに、ちゃんと正社員として就職した後の仕事話をして行こうかな。     と、その前に番外編、就職活動自体が面白かったので、その話を書きますね。このシリーズ読んでいらっしゃる方は、おわかりでいらっし

          『ある意味バイトの番外編①』

          『あの人と共演⁉映画・ドラマのエキストラ 編』

            これも単発でやったバイトなのですが、ちょっと面白い仕事だったので、あらためて書こうかなって。    それはTVドラマやらのエキストラ。 大学時代に3回ほど行った仕事。だと思ってたけど、確認のためWikipedia見て共演(笑)の俳優さんとか確認したら、これ高校生の時にやっていたのかもしれない。ギャラは1回の撮影参加で¥2500くらいだったかな。もうほんと記憶が定かではない。 1度、事務所に行って登録した後は、前日までに電話すると(メールなんてなかったからね)集合時間と場所

          『あの人と共演⁉映画・ドラマのエキストラ 編』

          『今夜飲み会!!困ったときの単発日払い編』

             大学生時代は、前回までの内容な感じで、 ・学生服販売 ・スポーツクラブ ・水産加工品 年末販売 ・スキーインストラクター 等を季節労働的にやっていた訳で、時期によっては現在の月収など遥かに超えるギャラを頂いていた。ハズなのですが、バカな学生が身の丈以上のものを持っていると、脳がバグっていくのでしょうね。バブルの背景も言い訳にしますが、使い方が派手でした。マルイなんかで、当時流行りのDCブランドの服を買ったり、付き合ってあいた彼女ととのデートの食事は、フレンチのフルコース

          『今夜飲み会!!困ったときの単発日払い編』

          『お歳暮 などなど 年の瀬お仕事は魚介の発送』

             学生時代に季節労働的やっていた?なっていた?(笑)スポーツクラブ、学生服売り場、スキー場等のバイトの話は、これまでにしてきたとおりですが、その合間的に毎年末2-3週間限定でやっていたバイト話をさせていただきましょう。これは大学1年〜4年まで、毎年12月2週目くらいから12月29日くらいまでやっていたお仕事。さらに言うと、高校生の頃から出入りしていたトーメン水産(過去の投稿参考)でのお仕事でした。  大学1年の11月ころだったかな、高校のころバイトしていたトーメン水産の工

          『お歳暮 などなど 年の瀬お仕事は魚介の発送』

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編②』

           大学2年冬、年も明けると、朴ノ木平のスクールの校長の言葉をうのみにしていた俺は、もう雪山に行きたくて行きたくて、行けばスキー三昧の日々が送れる。頭の中はそればかりとなり、本分である学校の試験なぞは適当に、しまいには学年末の試験も幾つかすっぽかして、1月の半ば過ぎには山に向かってしまっていました。1度、単発で菅平のスクールへ行き、修学旅行で初心者学生へのコーチを何とかこなし、その足でそのまま岐阜朴ノ木平スキー場へ行くこととなる。  朴ノ木平スキー場は、飛騨高山より車30分くら

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編②』

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編①』

           時系列少し遡って大学1年の3月の出来事から、この話はスタートしたいと思います。バイト歴で言うと『吉野家』あがって、引っ越しも終えて、三越で『学生服販売』やっていた頃。所属していた『スポーツ大東編集委員会』(通称 スポ編)の合宿という行事がありました。発行していた学内のスポーツ新聞の編集作業を共同生活の中で一致団結で進行しましょう、という“てい”のもの。この合宿というのは年2回(だったかな?)ありまして、新聞は年4回だっけかな?記憶が怪しいですが・・・その他、体育会所属の各部

          『スキーインストラクター(✕)でなくって 〝インチキ〟ラクター(〇)編①』

          『なんちゃってスポーツクラブ トレーナー編②』

           大学3年5月頃、約半年バックレたバイト先のスポーツクラブに、ばったり会ったエアロビのインストラクターH山さんに連れられて出戻った後の話です。東武東上線の鶴ヶ島駅より徒歩2-3分ってところに『OAK2/オークツー』は新設されました。そこにオープニングスタッフとして働かせてもらえることになったわけで。スタッフ集まっての顔合わせ的なミーティングが開かれました。ほとんどが鶴ヶ島での新規採用の中、社員さんは以前から気ごころ知れたH川さんを中心に知った顔もチラホラ。バイトも数人川越から

          『なんちゃってスポーツクラブ トレーナー編②』

          『なんちゃってスイミング インストラクターからの〜スポーツクラブ トレーナー編』

           また日にち空いてしまってスミマセン。これがまた、忙しかったわけではなくて(汗)年末年始がっつりとゆっくりさせていただきまして・・・。何はともあれ、今年またお付き合いいただきありがとうございます。    さて前回の話で、受け持っていた幼児クラスの子達は、今やその当時の自らの年と同じくらいの子がいたりなんかする歳になっているわけで。そんな30年以上昔のお話をさせていただいてます。     幼児や小学生のまだ泳ぎが上手くない子供たちのクラスを中心に、サポートのコーチをしていました

          『なんちゃってスイミング インストラクターからの〜スポーツクラブ トレーナー編』