あらためて感じる鈴木大拙のすごさ
北条政子の連載原稿を書いた後
一呼吸してから今度は
武士道講座の資料づくり。
今月は『禅と武士道』がテーマなので
いくつか禅書もあらっていましたが
鈴木大拙居士の本を
あらためて凄いと思いました。
理由は、禅を理論的に言語化したことにあります。
これには大きな葛藤があったに違いない。
なぜなら、禅は知性を否定するに等しいからです。
「わかる」ということを徹底的に叩きつぶします。
頭での理解といったらいいかな。
だから、禅の本を書く上では
このようなことをして大丈夫なのか
後世にとんでもない負の遺産を残しはしないか
という思いもあったのではないだろうか。
それを乗り越えての禅書(いくつもあります)
なのだろうなぁというのが今回思ったこと。
このことは、鈴木大拙が西洋の学問
特に哲学や宗教学を取り入れたことが大きいのだろうなと
これもまた単に私の考え。
西洋的学門を取り入れることによって
それまでできなかった様々を語る術を身につけることが出来た。
ちょうど、仏教が日本に伝来し
神道(神社神道)を説明できるようになったのと
よく似ている。と、私は感じた。
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