『瞑想の書』noteについて
【 瞑想の書 】実践のために の説明です。
入門・初心者向けです。
『瞑想の書』では瞑想の始め方、やり方について具体的な説明がなされています。
瞑想には数多くの方法がありますが、このnoteでは「基本的な瞑想」「慈悲の瞑想(トンレン)」と「明晰夢の瞑想(明晰夢の見方)」が含まれています。
番外編として「内丹(仙道、小周天)の瞑想」が含まれます
また瞑想の注意点、危険性やその対処法なども含まれており、瞑想を実践する上での基本的なことは網羅されています。
初めの内はこのnoteだけでも充分だと思います。
瞑想に関心があるけど、どう始めたら良いのか分からないというような入門者や、瞑想を始めたばかりで、まだやり方に迷いのあるような初心者に最適な内容です。
どのような瞑想法に関心があるにしても、その土台的な内容なので、このnoteで瞑想を始め、慣れたら禅であれヴィパッサナーであれ、マインドフルネス、気功、ヨガ、チベット密教であれ、他の瞑想を学ぶ際に役立つと思います。
瞑想に注目が集まり関連するビジネスの市場が拡大しつつある今日では、瞑想に関する情報がネット上でも溢れており、簡単に手に入るようになりました。
そういった情報を眺めてみると「時代の最先端をゆくIT企業でも実践!」といった流行や「集中力や創造性が増す!」といった効果効能を熱心に説くけれども、宣伝文句ばかりの表層的で薄い内容に終始するものが多くあったりします。
さらに宗教やスピリチュアルに偏った情報もあります。
このような中、瞑想を実践する上で数多ある方法に迷ったり、誤った概念を抱いたりする人や、始めてみたはいいけれども、いつまで経っても、やり方に確信が持てず瞑想も深まらずに止めてしまった人も多いのではないでしょうか。
そういった人はこのnoteから得られるものがあると想います。
私自身も瞑想のやり方に迷い、安定した深い瞑想も得られないという期間が長かったです。
瞑想ジプシーであったそのころの自分自身に、この「瞑想の書」を贈ってあげられたらどんなに良いことだろう、と思えるような内容になっています。
内容について
・第1章~第3章 瞑想のリスク、瞑想によって生じる心身の状態(瞑想態)
第1章と第2章は瞑想の危険性や副作用といったリスクとその対処法についてです。
今現在は瞑想のリスクに関しては注目を浴びる事態になっていません。このリスクについては一部で知られているのみとなっています。
瞑想を気分転換としてホドホドにするくらいならば、リスクをほとんど恐れる必要はないとは考えます。
しかし今後の習慣として長期に渡って実践するならば、頭の片隅には入れておいた方が良いと思います。
現実のところは瞑想を始めても多くの人は飽きたり、時間がなかったり、効果効能が感じられなかったりパッとしなかったりで、続かないのではと考えています。
続く人の場合でも大部分の人が瞑想があまり深まらなかったり、かなり短い時間しか瞑想しなかったりで終始すると考えます。
しかし中には瞑想が習慣となり、それなりの時間、安定した瞑想ができるようになる人もいます。
こういった人の場合には、そうで無い人よりも瞑想のやり方によってはリスクに直面しやすいと考えています。
米国を中心とした瞑想ブームはしばらく止みそうにないので、このような瞑想に慣れた人が増えていけば、瞑想のリスクに今現在よりも注目が集まることになるかもしれません。
他に瞑想のリスクに直面しやすい人は、そもそも瞑想する上で適性を考えなければならない人や、何らかの疾患、精神疾患や既往症のある場合です。
私自身は酷いうつ不安の時に自己判断で瞑想しました。結果としては自己判断の瞑想で、うつ不安が急快復に向かったと私は考えています。
しかしこれは気を付けなければならない例だと考えています。
瞑想が状態に影響を与える可能性のある各種疾患、精神疾患やその既往症のある場合には、特に症状の重い場合や統合失調症や離人・解離症などの場合には、自己判断での瞑想は禁忌とした方が良いのではと考えています。
医療関係者の関わる瞑想機関は国内でも複数あるようです。
関東では東京の赤坂に医療機関の運営する「東京マインドフルネスセンター」があります。
関西にも大阪に「MBSR研究会」(関西医科大学心療内科学講座医局内)があります。
第3章は瞑想によって生じる心身の、意識および脳・神経生理の特殊な状態についてです。
瞑想を座ってポカンとするだけのリラックス法だと考える人にとってはピンとこないと思いますが、瞑想によって熟練者ほど明確に心身に特殊な状態が生じます。
このnoteではそれを「瞑想態」と呼んでいます。
この瞑想態こそが瞑想の効果効能の源であり、瞑想を特徴付ける重要なものであると考えています。
第3章では瞑想態を脳・神経科学の知見をもって解説しているわけではありません。
あくまで私自身の瞑想実践を基礎にした個人的な考察、主張です。
またサマタ(止)とヴィパッサナー(観)についても少し触れています。
・第4章 基本的な瞑想、慈悲の瞑想
第4章は実際の瞑想のやり方についてです。
瞑想には数多くの種類、方法がありますが、第4章では「基本的な瞑想」「慈悲の瞑想(トンレン)」「明晰夢の瞑想(明晰夢の見方)」の3つを解説しています。
初心者の内は、基本的な瞑想と慈悲の瞑想の2つだけで充分だと思います。
両方行ってもいいですし、気に入った片方だけでも良いです。
基本的な瞑想は瞑想態を得ることを重視するもので、私が酷いうつ不安の時に行い急速な快復に役立ったと考えているのが、この瞑想です。
日課として行っているのも、この瞑想です。
やり方としては、座って心を落ち着けて瞑想するだけのシンプルなものです。
それを有名な古典であるヨーガ・スートラの八支則(8段階、8つの要素)を用いて解説しています。
正確にはヨーガ・スートラの八支則のうち、宗教的な要素が強く感じられるのでヤマ、ニヤマについては扱っていません。
この瞑想する人noteでヤマ、ニヤマに該当するのは「霊性」もしくは「愛他性」です。
深い安定した瞑想に入るための重要なコツも解説しています。
慈悲の瞑想は、このnoteで解説しているのは、今広く知られているテーラワーダ(上座部)仏教式の慈悲の瞑想ではありません。
チベット仏教式の慈悲の瞑想(トンレン)をもとにした私なりのやり方によるものです。
手順的にも、思想的、解釈的にもチベット仏教式のトンレンにはないものが含まれます。
独特な観想(ビジュアライゼーション)をともなうもので、宗教的、スピリチュアル的にも見えるため、馴染めない人はいるとは思います。
しかし宗教やスピリチュアルを意図したものではありません。
・第4章 明晰夢について
明晰夢の瞑想は重要だからこのnoteにあるのではなくて、完全に付録、オマケです。
明晰夢に関心の無い人は読まなくても良い部分です。あくまで余興です。
この瞑想法を含めた明晰夢の見方を解説していますが、他の場所、他の媒体で同じことを解説したことがあります。
明晰夢とは夢の中で「今自分は眠っていて夢を見ている」と気づき自覚的な意識を保った状態の夢見です。
明晰夢の質と見る能力にもよりますが、夢の中で自由に行動できたり、空を飛んだり、景色を変えたりなどができます。
この瞑想は明晰夢を見る上で即効性のあるものだと思います。
基本的な瞑想と慈悲の瞑想の2つに慣れるなら、この瞑想はとても成功しやすいです。
私は自分の瞑想実践における偶然から明晰夢を経験し、そしてこの明晰夢を見るための瞑想法を思いつきました。
明晰夢に慣れると、この瞑想を用いずに、見たいと意志するだけで見ることができるようになりました(さらに見たいと意志することすらしなくても、自然発生的に見るようになることもあります)。
明晰夢の活用としては、癒やしや創造性といった分野でいろいろと提唱されてはいるようです。
上手くやれば科学、アート、発明、テクノロジーの開発や活用、心理療法といったことに役立つかもしれません。
私は明晰夢を見ても何のメリットも感じなかったので、短期間で飽きてしまい活用法についてはよく分かりません。
ただ明晰夢にはリスクがあると思います。
まず睡眠の質に影響があると思います。睡眠障害のリスクも指摘されることがあります。他に私が一番困ったのは記憶の混乱です。
明晰夢では自覚的意識を保てるとはいっても、やはり夢であって夢の中で「これは夢だ」と気づけるし目が覚めたら「今のは夢だった」と分かります。
しかしある程度の自覚的意識は保てるというその特徴に加えて、通常の夢と比べてもリアルなため、しばらくしてから思い出す時に混乱が生じることがあるのです。
つまり記憶の中で過去のこととしてあることが、現実の中でのことだったのか、それとも明晰夢の中でのことだったのか曖昧になり混乱するのです。
他にはリスクと言うほどのものではないかもしれませんが、明晰夢を良く見ていた期間中には夢から覚めたと思ったらそれも夢だった、その夢からも覚めたと思ったらそれもまた夢だった、というような「多重夢」を経験することがありました。
例えば明晰夢をよく見ていた頃に、明晰夢を見た睡眠から目覚めたと思って身支度して出かけようとした時に、目が覚めたということなどがありました。
他には頻繁に明晰夢を見るような時には、夢遊病のリスクが上昇するのではという意見があるようです。
明晰夢の実践は自己責任でお願いします。
【番外編】 内丹(仙道、小周天)の瞑想について
内丹(仙道)、小周天はマニアックな実践です。この瞑想する人noteでは「密教」に含まれます。
これに関しては必ずしも入門・初心者向けとは言えないです。達成が容易ではない人の方が多いと思われます。
興味のある人向けです。
実践する場合は、さらに関連情報を各自で調べたうえで自己責任でお願いします。
陽気の発生、小周天自体は内丹(仙道)では初級・基礎段階ではあります。
中国語圏での内丹の伝統では、未成年の内に小周天の段階を修了する人も多いようです。
日本では高藤聡一郎氏の仙道が有名で、その書籍、情報に従って特に時間も精力も有り余るオカルト好きの中二病の10代男子が小周天をするというのがあるようです。
昨今、ストレスマネジメントや健康目的で瞑想、マインドフルネス瞑想、禅に関心を持つようになり、実践する人も増えつつあります。
しかしそれでも現時点での瞑想界隈を基準にすると、内丹の実践は入門・初心者レベルとは言えないと思われます。
不思議な体験や副作用が生じることもあり、また体験内容や感覚に個人差があり過ぎるので、なかなか扱うのが難しいものでもあります。
この瞑想する人note全体の中で、過去記事であっても最もPV数が伸びているのが、内丹など生命エネルギーの話題があるものです。
ほぼ検索流入によるものであり、関心を持つ人が多いのだと思われます。
巷に広まっているものはスピリチュアルの与太話だったり、オカルトに偏っていたり、誤解を招くものも多いようです。
健康被害に結び付くような実践も見られます。
できるだけ良質な情報を提供したいということで『瞑想の書』で内丹の基礎的なことに触れました。
・内丹の瞑想
『瞑想の書』の「基本的な瞑想」は座って心を落ち着かせるだけのシンプルな瞑想です。
「内丹の瞑想」はこの基本的な瞑想の延長にあるものです。ほぼ同じものです。
いくつか押さえるべき点を加えたものが内丹の瞑想になります。
なので基本的な瞑想に慣れている人はやりやすいと思います。
・リスクについて
小周天自体は高藤聡一郎氏の仙道の書籍、情報をもとに独修で行う人も多いです。
小周天の段階では副作用の話は、私は、ほとんど聞いたことがありません。
しかし、やはり副作用のリスク自体はあり、混乱させるような体験が生じることもあります。
できることなら優れた指導者、人格面でも優れた指導者が身近にいた方が良いです。
特に小周天以上の段階に興味がある場合には実践に通じている指導者がいた方が良いです。
小周天は気功健康法といった感覚で実践する人も多いようです。
しかしそれ以上の段階では、いろいろと難しいことが絡んでくるので信頼できる指導者がいた方が良いです。
指導者選びや実践は自己責任でお願いします。
・基本的には節制が必要
内丹(仙道)の実践にあっては、基本的にはある程度の節制(性の節制、禁欲)が必要とされます。
これに関しては年齢、精力など個人差もあるのかもしれませんが、基本的には必要とされます。
浪費がある場合には小周天はおろか陽気の発生も困難だろうと思われます。
一生涯にわたる禁欲主義が求められるわけではありませんし、「性は穢らわしい」というような愚かな宗教的な意味による節制でもありません。
内丹的な説明だと「練精化気」、精を練って気と化すのに節制が必要なのです。
ヨーガ的な説明だとアパーナ気の逆流に関係しています。
関連note:オカルト? 「性エネルギー」について。性エネルギーの転換・昇華など
ある程度の節制が難しいならば内丹(仙道)の実践は、時間の無駄になるだけなので、諦めた方が良いと思われます。
内丹に限らず、チベット密教やヨーガなどの生命エネルギーの実践は諦めた方が良いと思われます。
ジャンルとしては厨二病なのか何なのか分かりませんが「 オナ禁 」なるものをしている男子がいるようです。笑。
こういったことをしている男子は、もし興味を持つなら、瞑想や内丹、気功などをしてみるのも良いかもしれません。笑
・精神修養
内丹など生命エネルギーの実践は、無意識に向き合うという要素があります。無意識層が活性化するようなことがあります。
これもリスクに関係します。
こういったことがあるためなのか、内丹の伝統では「修徳」「精神修養」が強調されることがあります。
高藤聡一郎氏の仙道の情報では精神修養は強調されていないような印象があります。
しかし中国の内丹の伝統では「練功、功夫よりも前に修徳に励め」と指導されることもあります。
この精神修養は重要なことだと思われるので、関心を持ち取り組むようにして下さい。
・マニアックな話。 ヴィム・ホフ・メソッド、チベット密教、ヨーガ
チベット密教のツンモを連想させるヴィム・ホフ・メソッドは、内丹の実践には直接的な関係がありません。
ツンモに関する記事↓↓
しかしヴィム・ホフ・メソッドの呼吸法の熟練者で、特にこの呼吸法をヨーガ的な方法で行う人の中には、内丹やチベット密教、ヨーガと同一の体験をする人もいるのではないかと私は考えます。
ちなみにこの呼吸法は、ヨガの「火の呼吸」やバストリカ、カパーラバーティとは違ったものです。
様々な見解はあるのですが、内丹(仙道)における下丹田に発生する熱感(気、陽気、陽火、真気)はチベット密教の特にナーローの六法など究竟次第(ゾクリム)の体系にあるツンモ(チャンダリー、チャンダーリーの火)と同一の神経生理の現象だと考えています。
またヨガにもいろいろな種類があるのですが体操系のヨガではなくて、クンダリニー(クンダリーニ)など生命エネルギーを扱うようなマニアックなヨーガにある「アパーナ気とプラーナ気(とサマーナ気)の合一によって発生する熱感、生命エネルギー」と同一のものだと考えています。
小周天に関しては、ヨーガに言う「アパーナ気の上昇」と呼ばれる諸体験の初期の段階に相当するのではと私は考えています。
なので内丹の陽気の発生や小周天の体験者は、その分だけチベット密教やヨーガの体系への初歩的な理解が得られます。
こうなるとこれらに関して巷に流布しているスピ系の情報や神秘的な噂のほとんどが戯れ言だと分別がつきます。
ちなみに仙道の高藤聡一郎氏の書籍の中にもクンダリニーなどヨーガに関する記述もあり、チベット密教に関する著作もあります。
内丹ではとても有名な中国人の因是子(蔣維喬、1873-1958)という人はチベット密教の実践者でもありました。
ナーローの六法の四歓喜やヨーガのクンダリニーは小周天とは別の体験だと考えられます。
これらは小周天よりも進んだ段階とするのが自然だと思われます。
小周天よりも進んだ段階では、気、生命エネルギーが中央気道(ヨガではスシュムナー、チベット密教ではアヴァドゥーティやウマ、内丹では中脈などと呼ばれる)に流入する段階があります。
この時に独特な歓喜を経験することがあり、ナーローの六法の四歓喜はこれに該当します(参考:ツルティム・ケサン 正木晃 (共著)『チベット密教 図説マンダラ瞑想法 』 ビイング・ネット・プレス)。
これは人体の神経生理においては「エナジーオーガズム」と呼ばれているものと、何か関係があるのではという意見があります。
この歓喜の体験についてはネット上の内丹(仙道)の情報では、あまり見つかりません。
しかし内丹でもこのような体験はあります。
高藤聡一郎氏の書籍はほぼ絶版になっているのですが、『仙人瞑想法』(大陸書房)には仙道における歓喜の体験の記述があるようです。
私はこれを読んだことは無いので確認してませんが、。