チベット密教、ナーローの六法のツンモ(トゥムモ、チャンダーリーの火)、 内丹の陽気
ナーローの六法のツンモ
チベット仏教には「ナーローの六法(六ヨーガ)」という修行体系があります。
ナーローパという有名な修行者に仮託され、特にカギュー派において伝承されてきたものです。
ゲルク派においても開祖ツォンカパによって導入され尊重されているようです。
文字通り六つの修行法から成り立っているのですが、この六つに何を含めるかについては、流派、指導者によって違いがあります。
しかしツンモ(トゥムモ、チャンダーリーの火)が基礎であるというのは共通します。
他には四歓喜、ミラム(夢ヨーガ)、遷移(ポワ)、中有(バルド)、幻身(ギュルー)、光明(ウーセル)、双入(スンジュク)などが含まれるとされます。
このチベット密教のツンモ(チャンダーリーの火)をインド・ヨーガのクンダリニー(クンダリーニ)であるとする人もいるようです。
これについては当のチベット密教の修行僧の間でもいろいろな見解があるようです。
このツンモを生じさせる方法として、『チベット密教 図説マンダラ瞑想法 』では“瓶風を利用して瞑想する方法”が紹介されています。
これは特殊な呼吸法を用いるものです。
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ツンモと内丹(仙道)の陽気
以前にも述べたことがあるのですが、このツンモは内丹(仙道)における気(陽気、真気)と同じものだと私は考えています。
内丹においても陽気が、その後の実践の全てに関わる基礎になっています。
“瓶風を利用して瞑想する方法”にある特殊な呼吸法は、高藤聡一郎氏の仙道本で紹介されている「武息」と呼ばれる呼吸法とほぼ同じものです。
チベット密教のやり方では、独特な観想法が用いられるようですが、呼吸法自体は仙道の武息と同じものです。
ヨガ的な表現で言うと、クンバカとムーラバンダのともなったプラーナヤーマ(呼吸法)です。
この呼吸法には下腹部の運動がともなうため、このツンモ(陽気)はその運動によって生じる熱だという意見を目にしたことがあります。
また思い込みや催眠暗示によるものだという意見もあるようです。
これらは間違っています。
神秘的なものと考える人もいますが、これはまだよく分かっていない人体の神経生理によるものだと思われます。
文献『チベット密教 図説マンダラ瞑想法 』では、ツンモを発生させ、生命エネルギーをアヴァドゥーティ(中央脈管、ヨーガにいうスシュムナー・ナーディ)に導き入れて歓喜(四歓喜)を得る修行法が紹介されています。
この四歓喜は内丹の小周天とは違ったものです。
これを内丹の体系に含めるなら、小周天よりも進んだ段階とするのが自然だと思われます。
ツンモ(陽気)の発生について
このツンモ(陽気)を生じさせるために、述べたようにクンバカのともなった呼吸法がなされることがあります。
しかし実は、このような強めの呼吸法を用いなくてもツンモ(陽気)は生じます。
内丹においては流派、指導者によっては、武息など用いられないことがあります。
私が以前習っていた内丹系の気功教室の中国人指導者は「小周天のために逆腹式呼吸であれなんであれ、特殊な呼吸法はしないように」という方針でした。
そのような方法によるものは体験が浅く、副作用も生じやすいためと説明されました。
瞑想と自然な腹式呼吸による陽気の発生と小周天が重視されました。
目下、思索中のこと。熱の発生について
ツンモ(陽気)は、生命エネルギーの体験がともなう密教の実践の基礎だと考えています。
このnoteのチャクラ論においては、ムーラダーラからマニプーラの段階に相当します。
陽気の発生や小周天は、その方法や体験談自体は高藤聡一郎氏の仙道本などにありますし、ネットでも検索すると簡単に見つかります。(たとえば「武息 小周天」などで検索)
しかし実際には、もちろん統計が無いのですが、武息などをやってみても陽気の発生および小周天を達成できた人は、数少ない一部の人だけだったのではと言う人もいます。
大部分の人は陽気すら発生せずに、あきらめたなどとも言われます。
こういったことに関して、思索を深めてnoteにできないかと目下考えています。
実践者の素質体質、実践時間、継続期間なども関係するだろうと思われます。
基本的には一部の素質体質の人を除いて、実践時間が短い、短い期間で諦める、といった場合には陽気の発生には辿り着けません。
他には以下のことについて思索しています。
など。
意識ついて
この瞑想する人noteにおいては、ツンモ(陽気)であれクンダリニーであれ生命エネルギーの体験というのは、人間の意識-脳・神経生理システムによるものであるとしています。
そして人体(脳・神経生理システム)におけるこの体験の重要な起源の一つは、性・生殖に関わる神経生理システムであるだろうとしています。
「意識」においては、このような体験の起源は、識閾下のもの、潜在・無意識、内丹(仙道)においては不識神、先天(の神)、元神と呼ばれているものが重要とされるだろうと考えています。
呼吸法であれ、瞑想であれ、陽気の発生に関わる意識について、巷にあるものよりももっと丁寧な説明が可能だろうと考えています。
瞑想の種類について
武息などの強めの呼吸法を用いなくても、ツンモ(陽気)は発生すると述べました。
さらに、生命エネルギーの体験についての前提的な知識も無く、全く意図しない人でも瞑想によって、偶発的にこのような体験をする人がいます。
参考↓↓
偶発的な体験には、本人の素質体質も関わるだろうと思われます
しかし、現時点ではまだ思索が不十分なのですが、瞑想の種類も関わるのではと考えています。
これは上の「意識について」にも関わるものです。
瞑想の種類によって意識や集中の状態や体験に違いがあるだろうと思われるからです。
これについて面白い逸話を見つけました。
これは禅の修行では体験しなかったものを、書籍『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』にある瞑想法で体験したということです。
瞑想の種類によって、体験内容に違いがあることを如実に示す事例です。
現時点での私の大ざっぱな考察だと、ヴィパッサナーやボディスキャン瞑想などは偶発的な生命エネルギーの体験は生じにくいと考えています。
禅も同様に考えています。
一方で、「内なる意識」を重視するような瞑想やそれによって生じる意識状態は、生命エネルギーの体験に親和性があるのではないかと考えています。
内なる意識において
述べたように内なる意識を重視する瞑想が、生命エネルギーの体験に親和性があるというのが事実ならば、これは私の密教の取り組みや体系にとって、とても好ましいことです。
というのは生命エネルギーの体験それ自体が、内なる意識に関する体験なのではと思索できるからです。
このnoteでは瞑想は内なる意識に関する実践であるとしており、密教もそうだとしています。
密教における生命エネルギーの体験が、そもそも内なる意識に深い関係があるのなら、とても都合が良いです。
「霊性」において、瞑想や密教の実践を整理、体系化しようとする試みにとっても都合が良いです。