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百日行願『いのちのおれい』|開教50年祭

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2024年、宗教法人金光教武蔵小杉教会が開教してより50年の節年を迎えます。それを機して、8月3日より『百日行願』を開始しました。その記録です。現教会長である私の歩み、日記です。…
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#神様

No.61|百日行願61日目(2024年10月2日)

こんにちは。

百日行願、六十一日目。

今日も命を頂きました。
真にありがとうございます。

今日は、少し漠然とした話になりますが、お時間ある人はお付き合いくださいませ。

人間生きていると、調子良いときもあれば悪い時もあり、
過去を振り返ってみて
「あのときこうしていれば」とか、
はたまた
「あのときのアレは良くなかったな」とか、
思い起こす場面が1つや2つあるものだと思っています。

私です

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No.28|百日行願28日目(2024年8月30日)

百日行願、二十八日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

今日も命を頂いた
今日も命を頂いた
今日も命を頂いた……

そう唱えることで、自分の奥底にある傲慢な部分が消えていく、そんな感覚が私にはあります。もちろん、ご信心を頂くようになって後のこと。

なぜかと自問すれば、これまでは(信心の道を歩む以前は)、「生きている」と、さも自分の力のように生きてきたから。

頂いている命は大

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No.20|百日行願20日目(2024年8月22日)

百日行願、二十日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

すでに二十日目。
行願も百日なので、五分の一が過ぎ去ろうとしています。

この調子だと、すぐに百日を迎えそうです。

毎日の進みがとにかく早い。この二十日間でいったい何ができたのだろうか。
そんな歯がゆい気持ちを抱えつつも、けれども、命を頂けばこそ、と。ありがたい限りです。

神様から命を頂くという考え方。
信心が無い人から

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No.10|百日行願10日目(2024年8月12日)

百日行願、十日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

昨夜お参りされた氏子が次のように言っていました。
願っていたことが叶ったお届けで、
「神様のおかげです、そう感じることが多々ありました」と聴かせて頂き、ありがたいなぁと思いました。

世の中、起こり来ることを「神様のおかげです」そのように思えたら、思い悩むこともなくなるのでしょう。

すべては神様のおかげですと思えるようになる

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No.4|百日行願4日目(2024年8月6日)

百日行願、四日目

今日も今日とて、生かされているわが生命を
授け元である天地の親神様へ御礼申し上げる

あ~、ありがとうございます。

宗教家は、氏子のため
そのため『だけ』に存在しています。

それは「人が助かりさえすればそれで結構」の教祖様の言葉のまま。

氏子が助かるとは……?
祈ろうが、
話を聴こうが、
話をしようが、
なんならビンタしようが、

氏子が助かればそれで良いのです。

助か

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No.2|百日行願2日目(2024年8月4日)

百日行願、二日目。

今日頂いた命への御礼を。

悩みも迷いも、「今生かされて生きていること」から遠ざかっているからこそ起こり来ること。

その都度、戻せば良い。

あぁ、生きている、
あぁ、生かされている、ありがたい

そう思えないから、
そう思いたいけど、それは分かっているけど出来ないから
苦しんでいる。

ここにお参りされる人たちのこと。

そして、私のこと。

その都度、戻せば良い。

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