- 運営しているクリエイター
#神様
No.61|百日行願61日目(2024年10月2日)
こんにちは。
百日行願、六十一日目。
今日も命を頂きました。
真にありがとうございます。
今日は、少し漠然とした話になりますが、お時間ある人はお付き合いくださいませ。
人間生きていると、調子良いときもあれば悪い時もあり、
過去を振り返ってみて
「あのときこうしていれば」とか、
はたまた
「あのときのアレは良くなかったな」とか、
思い起こす場面が1つや2つあるものだと思っています。
私です
No.28|百日行願28日目(2024年8月30日)
百日行願、二十八日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
今日も命を頂いた
今日も命を頂いた
今日も命を頂いた……
そう唱えることで、自分の奥底にある傲慢な部分が消えていく、そんな感覚が私にはあります。もちろん、ご信心を頂くようになって後のこと。
なぜかと自問すれば、これまでは(信心の道を歩む以前は)、「生きている」と、さも自分の力のように生きてきたから。
頂いている命は大
No.10|百日行願10日目(2024年8月12日)
百日行願、十日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
昨夜お参りされた氏子が次のように言っていました。
願っていたことが叶ったお届けで、
「神様のおかげです、そう感じることが多々ありました」と聴かせて頂き、ありがたいなぁと思いました。
世の中、起こり来ることを「神様のおかげです」そのように思えたら、思い悩むこともなくなるのでしょう。
すべては神様のおかげですと思えるようになる
No.4|百日行願4日目(2024年8月6日)
百日行願、四日目
今日も今日とて、生かされているわが生命を
授け元である天地の親神様へ御礼申し上げる
あ~、ありがとうございます。
宗教家は、氏子のため
そのため『だけ』に存在しています。
それは「人が助かりさえすればそれで結構」の教祖様の言葉のまま。
氏子が助かるとは……?
祈ろうが、
話を聴こうが、
話をしようが、
なんならビンタしようが、
氏子が助かればそれで良いのです。
助か
No.2|百日行願2日目(2024年8月4日)
百日行願、二日目。
今日頂いた命への御礼を。
悩みも迷いも、「今生かされて生きていること」から遠ざかっているからこそ起こり来ること。
その都度、戻せば良い。
あぁ、生きている、
あぁ、生かされている、ありがたい
そう思えないから、
そう思いたいけど、それは分かっているけど出来ないから
苦しんでいる。
ここにお参りされる人たちのこと。
そして、私のこと。
その都度、戻せば良い。
お