No.61|百日行願61日目(2024年10月2日)
こんにちは。
百日行願、六十一日目。
今日も命を頂きました。
真にありがとうございます。
今日は、少し漠然とした話になりますが、お時間ある人はお付き合いくださいませ。
人間生きていると、調子良いときもあれば悪い時もあり、
過去を振り返ってみて
「あのときこうしていれば」とか、
はたまた
「あのときのアレは良くなかったな」とか、
思い起こす場面が1つや2つあるものだと思っています。
私ですか?
簡単に100ぐらいは見つかりそうです^^;
それぐらい、申し訳ない生き方をしてきてしまったと、猛省しております。
そうは言ってもいつも述べているように、
その日だって、今日だって、
神様から命を頂かなくては何も始まらないということで。
そして、今日皆様に伝えたいことは、
ダメなことだったと後々悔やんでみても
通らしてもらわないと真に分からないこと
それがあるということ。
この流れによる気付き。
頭でわかるのと、腹落ちするそんな違いでしょうか。
そのようなことを自らの経験から思います。
昨日今日と、ある先生(金光教教師)と話していて、昔話にも花が咲き、後悔や猛省しなければとあらためて思うようなことも思い出しつつ、でも通らせてもらってナンボだよなとも自分を慰め。これまた脳内がグワングワンと疲れております。まあ、心地よい疲れです。よく眠れそうです。
もちろん反省はする。
まあ、反省するにも神様からの命のおかげが必要だということは言うまでもなく。
そして、明日もおかげいただいたら、
反省の顔色でくよくよしていても仕方ないというのは神様から既に教えていただいたことです。
私のやるべきこと、
私の成すべきこと、
それはシンプル。
師にしてもらってきたことを、当時の私のように悩み苦しむ人に施すのみ。施すと言うと何か上からのような気がしますので、私の命(時間)を使っていただくのみ、と付け加えさせていただきます。
どうぞ、お使いください^^
神様と共にお待ちしております。
追伸:余談ですが、冒頭の「ありがとうございます。」は誰に向けて言っていると思いますか。
そう、神様です。
感謝の言葉って、相手が居ないと言いにくいものではないかとふと思いました。誰かの真心に「ありがとうございます。」、善意に「ありがとうございます。」。
ありがたい
と思うのと
ありがとうございます。
と感謝の気持ちを「伝える」のとでは
他者がいる分、後者のほうが長続きしそうです。
やはり何事も『続かなくては……』と、これもまたふと思いました。
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