No.28|百日行願28日目(2024年8月30日)

百日行願、二十八日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

今日も命を頂いた
今日も命を頂いた
今日も命を頂いた……

そう唱えることで、自分の奥底にある傲慢な部分が消えていく、そんな感覚が私にはあります。もちろん、ご信心を頂くようになって後のこと。

なぜかと自問すれば、これまでは(信心の道を歩む以前は)、「生きている」と、さも自分の力のように生きてきたから。

頂いている命は大前提として(それはあたり前のこととして)、物事をすべて捉えてしまうから、自分の身の回りで起きていることへの不満も、誰かが自分の身を脅かすような行動をとることへの不安も、倍増していくのかなと。

倍増させているのは誰でしょうか?
それは、あなたであり、
私なのです。

そうじゃない。
生きている、じゃない。
生かされている……

ただそれだけの、どうしようもない、ちっぽけな存在である私なんだということを、私は誰よりも感じたい、今はそのように思っております。

……そう思うと、生きるのがすごく楽になる。だって期待されていないんだから。こうじゃなきゃいけない、なんて1つもありません。

そんなあなたはどうですか。

生きている、の上に立ち
不安や不満を抱えてなどいないでしょうか。

そんなあなたへ。

ぜひ、ご唱和ください。

今日も命を頂いている
今日も命を頂いている
今日も命を頂いている……

ありがとぉーー、ダァーーー(アントニオ猪木のように)。

追伸:あなたが少しでも楽になれたなら、私の使命は果たせているのかなと。所詮ちっぽけな私でありますから。

大前提として神様もそこまで期待なさっておられない。それよりも何よりも、私が今日も傲慢にならずに、今日も命を頂いている、その事実(おかげ)をどれだけ喜べているのか。

私がそのことを実現した暁には、神様は満面の笑みで迎え入れてくださるだろうと。私のイメージをそれだけなのです。

今日も命を頂いています……
ありがとうございます。

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