#23 ジャーナリング。
Konitaroです。
以前にmuuteというアプリで書いていたジャーナリング。それを今は紙のノートで書いています。紙のノートに変えた理由の1つは、muuteが無料版だとスマートフォンからでしか書けないこと、そして最近のアップデートで無料版ではキーワードの分析ができなくなったことがあります。スマホでちまちま入力するが苦手な僕は、PCでの入力を好みます。PCの入力はメモサイトで書いて、そのサイトが提供するアプリからmuuteに転記することでなんとかしてきたのですが、それでもやはりスマホベースは何かとめんどくさい、ということで遠ざかっていました。
という経緯から紙のノートに書くようになりました。AIにより分析はなくとも、自分の脳という万能な器官のおかげで、AIとは違った分析ができるでしょう。まだ、見返す周期を明確に決めていないので、そろそろ決めようかなと思っています。
最近では、ジャーナリングに関する情報が溢れていますよね。ただ、情報が多すぎて、どうしたらいいのか分からなくなったので、僕は「自分の心の声を書き出す」ことをただただ続けることにしました。
朝起きてすぐに机に向かいます。顔を洗うとかそういう朝のルーティンはせずに、いきなりノートを開きます。ぼんやりとした意識の中でノートに向かうことがポイントです。そんなぼんやりした頭の中に思い浮かぶこと、要するに心がつぶやいたことをそのままノートに書きます。頭では何も考えません、余計な思考つまり自分の理性というフィルターをかけずに心(無意識)⇒頭(脳)⇒手(ペン)という順番で動かします。
僕の考えではありますが、「頭に思い浮かんだことを書く」ということは、「頭で考えたことを書く」のではない、と考えています。脳で考えてしまった時点で、それは理性というフィルターがかかると思っているので、ジャーナリングの意味は半減すると考えます。
ジャーナリングが「書く瞑想」といわれる所以には、この頭の中に浮かぶこと、「頭のおしゃべり」を書き留めることにあると思います。瞑想とは、頭に浮かんだことを、客観的に見る(傍観する)ことです。一つ一つの頭に流れるおしゃべりには反応せず、ただ呼吸に集中します。そうやって脳内に溜まっている色々なおしゃべり(雑念)を脳内に垂れ流すことで頭から消えていく、それを同じことがジャーナリングだと僕は考えています。
頭の中のおしゃべりを文字として書き起こす、紙に吐き出すことで消えずに紙に残る。そしてそれを見返すことで、自分が無意識下で思っていることが言語化されてノートに書き出され、それを読むことができるという考えです。
あくまでも、これは僕がそう考えて実践しているだけで、もちろん正解ではありませんし、まだまだ実践中です。
僕が考えるジャーナリングの本質は、「自分の本心に気付く」こと、そしてそこから「これからどう進んでいけばいいのか」という道標を導き出すことにあります。その導き出された道標こそが自分の本心が望むもの、なので自ずと体がそこに向かって動き出します。そして、本心が望んでいるからこそ、自分にとっての「成功」を感じられるのだということです。
ノートに書き始めたのは8月半ばからですが、今の書き方でいこうと変えてからは、まだ半月です。しかも、それまでに1ヶ月もブランクがありました。なので、偉そうに書ける立場ではないのですが、書いてみたいと思っている人のハードルを下げられたらいいな、と思って記事にしてみました。
それでは、よい夜をお過ごし下さい😊