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9月日記|どこかの庭の片隅で


■親子の出迎え

サーーーーーーー……。

早朝、静かな雨音で何度か目が覚める。東京から新幹線とバスを乗り継ぐこと約5時間かかって到着する、1,000メートル級の山々に囲まれた山間のまち。その片隅にある民家の2階の和室。窓のすぐ外は山々で、昨日この家に着いたときは鹿の親子が出迎えてくれた。

できたら朝から散策に出かけようと思っていたけれど、移動続きで昨日も2万歩近く歩いていたためか、体が動かない。貪欲に動き回り、とにかく「見た!来た!」とアリバイ作りのようにToDoリストを埋めるための旅でもなし。心底静かなこの場所で、そっと包まれるような雨音の中でゆっくり眠ることのほうがことのほか贅沢に思えて、畳の上の布団にまたもぐる。

高野山と呼ばれるこの一帯は、約1,200年前に弘法大師・空海が開創した場所だ。「最澄と空海、どっちが天台宗でどっちが真言宗だっけ?」−−歴史のテスト前に同級生たちとそんな話をした10代の頃が懐かしい。京都・和歌山と双方開創の地を擁する関西の人たちにとっては、どちらが開祖かなど迷うことすらない常識なのかもしれない。

■怖いものの正体

前日の夜は奥之院を訪問した。弘法大師が入定された場所まで、20万基もあると言われる石塔や墓廟が無数に立ち並ぶ中を2キロ近く歩く。泊まった宿から奥之院の入口までは3キロほどだったので、往復10キロ近く夜道を歩いたことになる。高野山にフィールドワークに来ていた中国出身の大学院生には「えっ、夜行くんですか?夜のお墓を歩くなんて怖くないんですか?」と尋ねられたけれど、「お墓=怖い」という感覚は私にはあまりない。

ここでは「高野山奥之院ナイトツアー」なるものがあるくらい観光地化されていて、おどろおどろしさがないということもある。また、私自身、お墓や死者への恐怖心というものは希薄だ。だからといって、そういったものに対する好奇心や怖いもの見たさのようなものが人一倍強いというわけでもない。私にとっては生も死もただ陸続きで、等しく存在しているように思える。

この春、大学時代に1ヶ月ほど滞在した岡山県の離島・六島に数年ぶりに「帰省」した。noteでもしばしば紹介している、瀬戸内海ど真ん中の小さな島。

六島の墓地は、港を降りてすぐの場所、島では誰もが毎日通りかかる場所にある。お世話になった方の幾人かはここ数年のあいだに亡くなられていて、島に行ったらお墓参りせねばと思っていた。「○○さんのお墓って…」と尋ねると「ああ、こっちこっち!○○さん、季世ちゃんが帰ってきたで〜」と生きている人と世間話するかのように墓石に話しかける島の人々。そういう風景を見ていると、死が怖いとはどうしても思えないのだった。

私が怖いのはたぶん、死に至るまでの過程と近さだ。その過程が突然すぎたり、苦難に満ちたりしているものであれば怖い。心構えが十分にできていないままに、身近な誰かの死に直面すると、心の中にずしりと重く冷たい岩が積み重なったような気持ちになる。近さというのは精神的な近さ。有名人が亡くなったとしても個人的なつながりや思い入れがなければ、感情が強く揺さぶられることはない。逆に、世間的には無名の人でも、人生が交差したと思える人の死にはなんとも言えない悲しみを覚える。

■研ぎ澄まされた芸能

生死しょうじ苦海くかい離れんと 生死の苦海離れんと 
大師のみ跡 尋ねん。
われ、弘法大師空海生誕の地、
讃岐の国多度津の庄に生を受けながら。
後世を願わず、
日々のたつきにいたずらに命をおくる。
命とも頼む妻や子に。
にわかに先立たれ。悲嘆限りなし。
生死の海 沈みやすく 涅槃の岸至りがたし。
生まれ生まれ 死にまた死にて 転変無常。

新作能『空海−万燈万華の祈り』冒頭より

和装束をまとった演者の低く深い声が、夕暮れの高野山に響き渡る。開創当時は講堂と呼ばれていた金堂こんどう、朱と白の塗りが美しい根本大塔こんぽんだいとうのあいだの空間にしつらえられた野外舞台。朝方の雨はすっかり止み、強い日差しで火照った大地の熱をも連れ去っていった。

涼やかな風が吹くなか、弘法大師・空海を題材にした能が、まさにその舞台・高野山で演じられている。たとえていうならパリのオペラ座で『オペラ座の怪人』を鑑賞するようなもの。空海が832年に催し、今も続く「万燈万華会」の法会の願文をもとにしたという新作能。空海がその願文をしたためのは、旧暦の8月22日。新暦で換算すると上演日である本日9月15日だという。本当に特別な日の、特別な舞台なのだった。

日本の古典芸能は眠くなるというようなイメージがあったが、それは鑑賞側にも能動的な集中力が必要とされるからなのかもしれない。この舞台では、イントロ数秒で人心を掴むような流行曲のキャッチーさもなければ、大道芸のようにアクロバティックな派手さもなかった。台詞もしぐさも、笛や鼓の音も、すべてが抑制された−−そう感じるのは私が日々わかりやすい娯楽に慣れ切ってしまっているからなのだろう。より正確に表現するならば、研ぎ澄まされた−−形で舞台を構成している。その膨大な質量のようなものにひたすら圧倒されていたせいか、見終わった後は興奮と疲れがどっと押し寄せた。

上演後、稚児役として出演していた地元の子どもたちと境内ですれ違う。きらびやかな装束で神妙な面持ちで舞台に立っていた様子とはまるで違う、普段の放課後のような風景。高野山で暮らすことも能のような行事に出ることも、この子たちにとってはきっと日常そのもの、あるいは日常の延長なのだ。

■どこかの庭の片隅で

地面にうずくまり、まだ昇天しない龍のことを蟠龍ばんりゅうというらしい。高野山に「蟠龍庭」と呼ばれる国内最大級の石庭があることを、私は知らずにいた。たまたま立ち寄った金剛峯寺にあるその庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、建物を守っている。その佇まいたるや、見事としかいいようがない。金剛峯寺の豪華な襖絵の数々も目を見張るものだったけれど、私が一番長い時間を過ごしたのは石庭を見渡せる長い廊下でだった。

京都を散策していた時も、偶然訪れた建仁寺の石庭前でひたすらぼーっとしていた記憶がある。石庭ではないけれど、今年は都内の日本庭園にもよく足を運んだ。浜離宮や六義園、根津美術館。2月の、アメリカ在住のJとの出会いも影響しているかもしれない。

Jは相変わらず世界のあちこちに足を運んでいるようで、先日もヨーロッパから便りが届いた。私が高野山で一人景色を眺めていたように、Jもまた今日もどこかの庭を散策しているような気がした。


(終)




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小波 季世|Kise Konami
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。