原色の街 吉行淳之介著の読書感想文
いつものようにぼんやりとdマガジンで雑誌婦人公論を読んでいたところ、エッセイストの関容子さんという方と女優の吉行和子さんが書簡を往復しているページと出会った。
吉行和子さんは言わずと知れた大女優だが、そもそもは作家・吉行エイスケと美容師でエッセイストの吉行あぐりの娘。また、作家・吉行淳之介の妹でもある。この家族の物語はかつてNHKの朝ドラにもなっていたことを覚えている人もいるだろう。
往復書簡のなかでは吉行家の話が主になされていた。吉行和子さんがコロナ流行の今、100年も前のスペイン風邪が例として出ることに触れ、母あぐりさんがかつてそれについて話していた内容を記している。
そこには、あぐりさんがお姉さん2人とお父さんをスペイン風邪で亡くし、大黒柱を失って生活が苦しくなったため、学校へは行かせるという約束のもと、15歳で近所に住む16歳のエイスケに嫁いだ歴史があった。
やがて、幼い夫婦の間に子供ができ、それがのちの作家・吉行淳之介であることも。
あぐりさんの身の上を知り、朝ドラは時々観ていたけれどあらためて著作を読んでみたいと私は思った。ただ、その後、そういえば吉行淳之介の本って読んだことがないなと思い、kindleで名前を検索。すぐにいくつか見つかり、短編集を選び最初に「原色の街」という小説を読むに至った。
主人公は「あけみ」という名で娼婦をしている若い女性。学校を出て会社勤めをしていた「あけみ」は、自分が若い女性であるというだけで世の中の男性に値踏みされることに苦い想いをしている。やがて、職場での人間関係に支障が出るようになり、転職を試みるが結局同じような状況に陥ってしまう。疲れ果てた「あけみ」は、どうせならもう自分で値段をつけてしまえと娼館へとたどり着いた。ある日、結婚話を持ち込まれている男が「あけみ」のもとに現れる。結婚話があるとは知らず、「あけみ」は男に興味を持つ。男は「あけみ」にも見合い相手にもさほど興味はない。やがて常連客が「あけみ」に結婚を申し込む。常連客に興味は無いものの、結婚へと話は流れていく。元居た世界へと続く流れに「あけみ」は逆らおうとしてしまう。
「あけみ」と同じようにかつて私も、若い女性であるというだけで男性に値踏みされるということに嫌悪感を持っていた時期がある。18歳から33歳くらいまでの間、自分が性の対象であるのだなということがありありとわかる嫌な想いを何度かした。
夜道を自転車で帰宅途中に卑猥な言葉をかけられながら車で追いかけられたり、ひとり暮らしのポストに大人の女性のセクシーな写真(気持ちの悪い言葉が書きこまれている)を入れられたり、見知らぬ男性に部屋のドアノブを何度も回されたり。
私は、「あけみ」のように自分に値段をつけるという方向へは行かなかった。ただ、ほとんどの女性がいつまでも若くありたいと願うのに、私は早くおばさんになってしまいたい、年を取って楽になりたいと思っていた。たぶん、私は自分が生まれもった性に少なからず嫌悪感がある。お化粧が好きでワンピース愛好家なのに「女の姿をしたオカマ」だとか、収入が少ない時に「主婦」ではなく「ヒモ」と呼ばれてしまうのは、性に対する嫌悪感が他人にまでわかってしまうレベルなのであろう。
この考えをわかってくれた人は残念ながらいない。なのに、吉行淳之介はわかっていた。どうしてだ。女性のきょうだいがいるからなのか?よくもてていたから、女性の気持ちがわかるのか?
答えは文章にあった。吉行淳之介の文章は目の前にあるものをそのまま書いているのではなく、かといって何かに例えているのでもない。粒子やピアノ線レベルでものを見て感じているのだ。女性と過ごし、言葉を少し交わすだけで根底にある苦しみまで読み取れてしまうのだろうと思う。
逆に彼が書く男性と言うのはとても軽い。軽薄で見栄っ張り。その理由を知りたいが、それは彼の著作のなかにあるだろうか。次はエッセイにでも手を出してみようと思った。
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