
#77. 集中しすぎた私が、程々を恋しく思う理由
私は、異常なくらいの集中力を持っている。
それは一見、褒められそうな能力に思えるかもしれないが、実は結構自虐的な話でもある。
なぜなら、普通に不便なのだ。
多くの人が「集中力を高めたい」「持続する集中力が欲しい」と悩んでいるのを耳にする。そういう話題を見るたび、私は「そっちの方が絶対にいいじゃん」と思ってしまう。
集中力にオンオフがある人は、適度に休憩したり、切り替えたりすることができる。私にはその「切り替え」がほぼ存在しない。
例えば、オフの日の朝8時。ふと作業を始めたとする。気づけば、時計の針は夜11時を指している。
もちろん、その間にご飯を食べたり散歩したりなんてことは一切ない。何かに没頭していると、まるで時間の概念が消滅してしまうのだ。
トイレの欲求だって、集中の前では後回しにされる。
「あ、行きたいな」と感じても、すぐには動けない。どうにか作業を一区切りさせようと、
「あともう少し、あともう少し…」
と自分に言い聞かせる。そして限界まで我慢した末、ようやく席を立つ。この瞬間、「こんだけ集中してた自分、何やってんだ…?」と思わず苦笑してしまうのだが、
次の瞬間にはまた机に戻り、何事もなかったかのように作業を再開している。
ここまで来ると、もはや「集中力がすごい」ではなく、「集中力に振り回されている」に近い。
最近は「休憩する技術」を身につけたいと切実に思う。
ただ座り続けていた身体を伸ばしてみたり、湯を沸かして紅茶を飲むような「一休み」を、もっと生活の中に取り入れたい。だが、やってみるとこれが案外難しい。
「休憩中にすること」すら、ひどく集中してしまう自分がいるのだ。紅茶を淹れるつもりが、気づけば茶葉の種類や淹れ方の研究に没頭してしまい、さらに疲れる結果になることもある。
もしかしたら、この「不便な集中力」もまた、
私の個性なのかもしれない。
集中できる自分に感謝しつつ、ほどよい力加減を覚える。そのバランスを模索するのも、ある意味では私の日々のテーマだ。
一つだけ言えるのは、「集中力がある」ことも一長一短だということだ。
何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉があるように、ほどよく集中し、ほどよく休む。それができる人こそ、きっと一番の才能の持ち主なのだろう。
私にはまだ、その「ほどよさ」の感覚がつかめないけれど、探ろうとするたびに新しい発見がある。自分に合ったペースやリズムを見つけるのは、簡単そうでいて案外難しい。
けれど、そうやって模索している日々そのものが、実は何か大切なものにつながっているのかもしれない。
そうやって今日も私は、自分が納得できる「ほどよさ」を探り続けている。