ちゃんと存在していた
どんなに楽しい1日だって、どんなに苦しい1日だって、必ず過ぎていく。今、この瞬間の感情を記憶していたい、と強く願っても、もう明日にはその感情を言語化できないほどに忘れてしまっていて、全てを記憶したままこの先を生きていくのには限界があるんだと、その度に思わせられる。
数ヶ月前から計画していた1泊2日のグランピングがようやく決行された。2日間とも快晴で、夜は流星群も見られた。
わざわざ遠回りして買い出しをしたこと。
スイカじゃなくてシャインマスカットを買ったこと。
車内でミスチルを大熱唱したこと。
暗闇であの子と2人きりで恋バナをしたこと。
朝ごはんは残り物の焼きそばだったこと。
滝に行って、結局は地元の滝が1番だねって言い合ったこと。
プラネタリウムでみんな爆睡したこと。
これだけじゃない。もっともっとたくさんのことを、たくさんの時間を、7人で過ごした。
だけど、家に帰ってきてすぐに日記を開いて2日間のことを綴ろうとすると、「楽しかった」「幸せだった」しか出てこなくて。自分の語彙力の無さと、記憶の儚さに寂しさを強く感じた。
全ての瞬間とその時の感情を覚えていられたらいいのにとか、あの時間が永遠であったらよかったのにとか思うけれど、きっと、全てを覚えていることが難しいからこそ今を大切にしたくて、永遠じゃないからこそ思い出は美しいのだと思う。
永遠なんてない。だけど、その瞬間はちゃんと存在していた。
これは確かで、この事実があるだけで私はまた、新しい思い出を作っていける。
いつかふと、日記に綴り忘れたこの2日間の感情を思い出す時が来るかもしれない。その時は、その感情を精一杯懐かしもうと思う。愛そうと思う。
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