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2024年に私が出会った、指がない人
これまで私が出会ってきた人たちには、片手に5本ずつ、両手に10本の指がついていた。
2024年のうちに出会った人の中に、指がない人がいた。2人も。
2025年が始まってすぐ、その指の話をしたいと思った。
1人目は会社のSさん。Sさんは、歩き方から見た目からどう見ても強面のおじさんなのに、喋ってみるとすごく話しやすいし、優しい。Sさんの年齢からしたら小娘でしかないだろう私と、気さくに話してくれて、勉強になる経験談も聞かせてくれる。ぜんぜん自慢っぽくならないし、気遣いの人なんだなといつも感じさせてくれる。
Sさんは、右手の親指がない。
知り合ってしばらくしてから、Sさんの右手の親指につけられているガーゼサックに気づいた。
「指、どうしたんですか?」
一時的な怪我だと思い込んで何も考えずに聞くと、Sさんはぴょんとガーゼサックを取って、親指を見せてくれた。そこから現れたのは、想像していたおじさんの親指ではなくて、とってもきれいな、ぷにっとした質感の小さなクリームパン。みたいな、赤ちゃんの腕に似た指らしき何かだった。あまりに綺麗なフォルムに手を伸ばすと、Sさんは手を引っ込めて笑った。
「さわんなよ(笑)ないんだから」
Sさん、あの時は、無礼すぎる私の行動に対して、フランクな対応をしてくれて、ありがとうございました。そして、ごめんなさい。
それは、若い頃、現場仕事で丸のこにうっかり触ってしまって落ちてしまった右手親指部分だった。腕の皮膚を切り取って、太ももの脂肪で指の形を再生したのだそう。
「だからまあ、指ではないってことだよ。あの時は本当に焦ったなあ。
周りも困らせたし、親も悲しんでたし。まあでも、俺より年上の人たちにはいっぱいいたからな、指がない職人のおやじたちが。可愛がってもらったよ」
そう言って、Sさんはバーバーパパみたいに見える「ない指」を、曲げ伸ばしして見せてくれた。私がまた手を伸ばすと、笑って手を引っ込めた。
2人目は、とあるご縁で出会った土地を転がす大金持ちのおじいちゃん。名前は覚えてないけれど、この人も若い頃から建築現場を出入りする仕事をしていた。
おじいちゃんの手は、とても小さい。右手小指から中指3本の第一関節の先と、左手の親指がない。その手は、広げてもなんだか子どもサイズに見えてしまう。触れてもいいものか迷う私や、周りの心配を他所に、おじいちゃんは「ない指」の話をした。指がなくて、苦労したこと、良かったこと。
若い頃から身につけてきた指のないおじいちゃんなりの処世術なのかもしれない、とも思った。でも、おじいちゃんの「ない指」自慢は、私には本音に聞こえた。指がなくなった過程も、指がなくなっても現場に出続けた若き自分も、その仕事で幸せにしてきた人のことも、みんなおじいちゃんの人生の自慢のように思えた。
2025年が始まってすぐ、なんで私はSさんとおじいちゃんの「ない指」の話をしたくなったのか、考えた。
たぶん、私には2人が自分の「ない指」を気に入っているように見えたから。触れてもいいものか迷う自分も、聞いてしまってから「聞いても良かったのか」考えるのもバカバカしいくらい。清々しいほど軽やかに、2人は「ない指」のことを話してくれた。こんなことを言うのは、きっと不謹慎なのだと思う。指が無くなる大怪我をしているわけで、きっと日常生活で困ることもあるはず。
でも、そんなことを思わせないくらい2人は2人なりに「ない指」を可愛がっていて。辛いことを乗り越えて、それでもその仕事を続けた人の、文字通り勲章的なものに見えたのかもしれない。
嫌な思い出を乗り越えて、強くなった。その中に見つけたひと欠片の良い部分を掬い取って愛でて生きて、さらなる強さを得た。
辛いことなんてなくていいし、我慢する必要もない。怪我や病気をせず健康で生きるに越したことはない。でも辛いことや悲しいことを乗り越えた人には、やっぱり、そこにしかない強さや輝きがあるもので、それを「なかった方が良かった」なんて他人が言うことはできない。
きっと私が出会った「ない指」を持つ2人は、「ない指」を持っている過去があって、あの2人。それが分かったから、新しい1年の始まりに、仕事始めを前に2人の輝きが思い出されたのかもしれない。
今年はどんな仕事をしようかなあ。指を無くしても続けられるほど、私はこの仕事が好きではない、気がする。