「本と食と私」今月のテーマ:道具―僕と茶道と千利休
僕と茶道と千利休
文:竹田 信弥
『本覚坊遺文』(井上靖著 講談社 1981年)という本がある。
謎とされている千利休の死の真相に史実と虚構をまぜて迫っていく井上靖の小説だ。千利休の弟子の本覚坊が、利休の死後、ゆかりのある人との会話を通して利休がなぜ秀吉に切腹を命じられたのか、そしてなぜそれを受け入れたのかの答えを探していく。本覚坊が己に語りかけるような形式であり、語り口が軽く読みやすい。
本人不在の中で浮かび上がらせる茶の湯や利休の実像。他者の声ゆえ、よりリアルに感じられる。利休が死した理由は不明だが、井上靖の描く説は鋭く、自然と納得してしまう。
歴史があまり得意ではないぼくも夢中で読んだ。茶道や利休に詳しくなくてもぜひ読んで欲しい一冊だ。
僕の人生にも、茶道はときどき顔を出す。
一度目は、小学生のころだ。茶道にハマっていたことがある。と言っても小学生なので、いつもおしゃべりな大人が真面目な顔で静かにお茶を立てているのが変だったり、器をくるくる回す作法が面白かったりして、見様見真似で遊んでいた程度だ。
祖母は茶道の師範代だった。普段からあまり気さくな人でもなかったが、お茶を点てるときは、いっそう厳しかった。
特に道具を大事にしろ、とうるさかった。必要以上にくるくると茶器を回して遊んでいたら、ポカンと湯を注ぐ柄杓で叩かれたこともあった。高いものだったそうだ。しかし、道具で叩いちゃダメだろう。今なら突っ込めるが、そのときはピリッとした。それでもお茶を点てるときの、部屋の温度が1℃下がるような雰囲気が好きだった。和菓子もおいしかった。
高校のときにも茶道部に入ろうかと思った。入学してすぐにできた友人たちと見学に行った。しかし、本気で考えていたのは僕だけで、ひとりは吹奏楽部に、もう一人は野球部に正式入部した。僕は悩んだ末に、正座がつらくて野球部に入ることにした。野球部は1年でやめたけど。体験入部で出された和菓子がおいしかった。
大学のときは研究室で。日本文学についての授業の後に先生と、まさにこれまでの茶道経験の話などをしているときだった。いまの茶道の礎を築いた千利休について何も知らないことに気がついた。表千家とか裏千家とかと聞いていたけれど、千って千利休のことか、とそこで合致した。このとき、先生から『本覚坊遺文』をすすめられたのだ。
残された茶器や茶道具を通して故人を思い出す。まさに、祖母の大切にしていた茶道具はまだ実家に残っている。結局僕は一度も茶道の道には入らなかったが、たまに実家に帰るとそれを使って見様見真似でお茶を入れて、家族とともに祖母の話をする。
祖母に、茶道のことをもっと聞いておけばよかったといまさらながら思う。祖母のことを覚えている人も少なくなってきているので、親戚や近所を回って祖母の話を聞いてみるのもよいかもしれない。
著者プロフィール:
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)
東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。
竹田 信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。
双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。
店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
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