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「本と食と私」今月のテーマ:異国の料理―人生に残された料理の刻印

ライターの田中佳祐さんと双子のライオン堂書店の店主・竹田信弥さん2人による連載「本と食と私」。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイを、それぞれに書いていただく企画です。先日3月14日に公開した竹田さんのテキストに続き、田中さんのテキストをお届けします。テーマは、「異国の料理」です。

人生に残された料理の刻印


文:田中 佳祐

 リチャード・ローティという哲学者の本『偶然性・アイロニー・連帯』を読んでいて、旅について思ったことがある。
 この本は個人の生と他者との関係性について書いた一冊だ。ローティは「自己の偶然性」という章で、フィリップ・ラーキンの詩の一部を引用している。

そして一度あなたが自らの心を余すところなく散策してしまったら
あなたが支配するものは積み荷のリストと同じぐらいに明白だ
あなたにとって、それ以外に存在していると思えるものは何もない
それが何の得だというのか? ただ、時が経って
私たちのおこないのすべてが生んだ盲目の刻印を、自分で半ば確認することが その形跡をしっかりと辿るかもしれない。
だけど、
私たちの死が始まるあの青ざめた午後に、
それがいったい何であったかを告白しても、何の慰めにもならない、 なぜならそんなことは一人の人に一度だけ、
しかも死にゆく者にだけ意味のあることだから。

『偶然性・アイロニー・連帯』
リチャード・ローティ著、齋藤純一訳、山岡龍一訳、大川正彦訳
2000年 岩波書店

 私はこの本を読み、難しくて天井を見上げた時にイタリア旅行のことを思い出した。
 旅の目的は美術を見ることで、ヴェネチアで芸術祭の会場に行き、その後ローマに移動して教会を巡った。美術系旅行ガイドをなぞるようにして、ヴェネチアやローマの街を歩きまくった。
 夏の暑さとローマの石畳にずいぶん体力を削り取られて疲れ果てていた。
 
 疲れていてもお腹はしっかり減るもので、ホテルのスタッフさんにおすすめのレストランを聞いた。
 どんなお店がいい? 伝統的な料理? それとも人気のお店? と質問されたので、あなたが好きなお店を教えてくださいと答えた。すると、ナヴォーナ広場の近くにある「GINGER」というレストランを教えてくれた。
 
 そこは、白を基調とした感じの良いカジュアルレストランで、カウンターに飾られたフルーツや野菜が爽やかな印象を与えた。
 オススメはサラダやフレッシュジュースのようだが、ハンバーガーやパスタなども充実していた。要するに食べたいものはだいたいそろっていた。
 私はステーキを頼んだ。焼き加減などを聞かれたような、聞かれなかったような気がするが、覚えていない。
 それでも、イタリアでの食事のうち、最も美味しかったことは覚えている。その後3日間ローマに滞在していたのだが、連日一度は店を訪れたのだった。
 その日の疲れを「GINGER」の冷たいサラダやチーズ、温かい肉料理やパスタで癒し、ホテルで眠った。
 その旅行以来、私にとってのイタリア料理は「GINGER」のステーキになった。そして、ステーキを食べるたびにイタリアのことを想うのであった。
 
 冒頭で引用したラーキンの詩を、ローティはこのように読み解いている。ラーキンは「積み荷のリスト」という言葉を使い、人生を普遍化することの虚しさを描いている。一方で、「私たちのおこないのすべてが生んだ盲目の刻印」と言い表された自分の人生だけの特別な行動、つまりラーキンで言えば詩作活動も結局は「死にゆく者にだけ意味のあること」として突き放すそぶりを見せているのだと。
 ローティはこの詩が「死にゆくことの恐れ」を語っていると解説し、ラーキンの詩の魅力は、自分の個性に基づいて生きることと普遍的に生きることの緊張関係を描いていることだと語る。
 私のイタリア旅行はガイドブックをなぞり、美術館を旅行するというものだった。それにはゴールがあり、ガイドブックに印をつけた箇所を制覇すれば私のイタリア旅行は終わる。なんてことのない道のりだった。
 しかし「GINGER」のステーキに出会ってしまったことで、私にとってのイタリア旅行は終わらなくなってしまった。また、いつかあの店で食事をしたいと強く願ったからだ。
 
 ラーキンの言う「盲目の刻印」が、私の人生にあるとすれば、それは旅の先々で出会った料理なのかもしれない。
 今書いているエッセイや自著などの文章よりも、もっと切実に「料理」が自分の人生を刻んでいるのだろう。
 もしも魂があり、死後に残るとして、文章を考えることはできたとしても、料理はできないだろうから、ちょうど良いと思った。


著者プロフィール:
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)

東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

竹田 信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』
(竹田信弥、田中佳祐 共著 晶文社 2021年)

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
webサイト https://liondo.jp/
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