子どもを見る目はどんな目ですか?
息子が赤ちゃんの頃、私も息子も好奇心でいっぱいでした。
息子の目はキラキラ輝いていて、興味のあるオモチャを目指して自らの意思でどんどん向かっていきました。
ハイハイだって、歩くのだって、私が教えた訳でもないのに、何度もチャレンジを繰り返しながら一人でできるようになりました。
私は、息子のやることすべてが愛おしくて、できることひとつずつ増えていくのを一緒に楽しんでいました。
息子は何か出来るたびに、私の方を振り向いて得意そうな笑顔で笑って、一緒に楽しいことも喜びも分かち合っていました。
赤ちゃんの頃は、「したこと・できたこと」が嬉しくて一緒に共感できることが幸せだったはずなのに…。
いつの頃からか、私の息子を見る目が変わっていったんですね。
周りの目が気になり出して、息子の将来を考えれば考えるほど、たくさんの情報に左右されて、何が正解なのか分からないまま子育てをしていました。
そして、心配の目、不安の目、親の欲の目、疲れた目へと、私の好奇心に満ちたキラキラした目はどんどん変わっていきました。
同じように、息子の目もだんだん不安の目、疲れた目に変わってしまいました。
息子のことをしっかり見ているつもりだったけど、私が見ていたのは周りの目だったのかもしれません。
その証拠に、息子も同じように周りの目をかなり気にする子に育っていました。
息子が不登校になる前の私は、「〇〇であるべき・こうするべき」って思い込みフィルターを通して息子を見て、良いか悪いかだけの判断で、ずっと私の価値観を押し付けていました。
私の子育ては、ジャッジをする子育てでした。
批判家の目、監視員の目、評論家の目で子どもをみていたのかもしれません。
ありのままの息子の姿を、私は何も見えていなかったんです。
息子の行動から息子のリソース(資源)を見つけられるようになった今なら、私の世界観よりも息子の世界観の方が遥かに大きくて、私の世界観に閉じ込めておけるような器の子ではないってことが分かります。
子どもの「できたこと」から子どもを褒めたり、子どもの良さを見つけようとすると、親の欲が入ってしまいがちです。
しかし、子どもの行動から、「この行動をとるために、どんな力を使っているのかな?」と視点を変えて力を見つけていくと、親のジャッジが入りにくくなり、本来の子どもの姿をみることができるようになります。
子どものした行動の「結果」に目をむけるのではなく、
子どものしている行動の「経過」に目を向けられるようになるので、
ポジティブな出来事→良かった
ネガティブな出来事→ダメだった
のギャップにいちいちストレスを溜めることも、自分の期待通りの行動をとってくれない子どもに対してイライラしたり、傷つくこともなくなっていきます。
子どもを見る時に、親の理想や欲のメガネをかけていることに気付けるようになると、それらのメガネを外すことができるようになります。
親の理想や欲のメガネを外すことができて、やっと本来の息子の姿をみることができるようになったら、ずっと心配していた性格特性が、羨ましいほど魅力的でキラキラ輝いてみえるようになりました。
息子の「力」を見つける度に、そして、私との世界観の違いに気付ける度に、感動して幸せな気持ちになります。
赤ちゃんの頃のような好奇心いっぱいの目で、今は子育てができるようになりました。
目の前の子どもを見ていくことで、過去を悔やむことも、まだ見ぬ未来を心配する必要もなくなるので、“今、この瞬間”の子育てができるようになります。
そうすると、手足を動かしただけでも、少し笑うだけでも、赤ちゃんの行動一つ一つに感動したり喜んだりしたあの頃のように、もう一度子育てができるようになるんです。
息子は歩き出す力があります。
何度失敗しても諦めずに立ち上げる力があります。
一度できたことは何度だってできる。
だから、赤ちゃんの頃のように好奇心いっぱいの目で何でもチャレンジできる力を持っています。
目の前の子どもを、 “どのように見るのか” がとても大切でした。
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