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#12 不登校3人組

「そういえば、あいつら学校行ってるのかな?」

息子は、部活で一緒になったお友達と話を合わせるために、YouTubeやオンラインゲームにハマっていきました。
夏休みもずっと同じメンバーでゲームをし続け昼夜逆転、2学期から3人揃って不登校になりました。

始業式の翌日から、「今日、学校どうする?」「俺、やめとくわ」「じゃあ、俺も」こんなラインのやり取りを毎朝繰り返していたようです。

1人でも「行かない」と答えると芋ずる式に全員欠席。

そのうち、登校できる日がなくなり不登校へ。

不登校になることで、彼らの結束力はどんどん強くなっていきました。

我が家は、電子機器の制限・禁止をしたので、不登校になってからは彼らと連絡が取れない状態でしたが、2人は徹夜でゲームをしたりと自由気ままな不登校を楽しんでいたようです。 

そして、彼らと息子の不登校では、少し違いがありました。
息子がベッドから起き上がれないくらいほとんど寝たきりの状態だったのに比べ、彼らは息子よりも体力もあり元気でした。

私たちが電子機器の制限禁止など外部と殆ど遮断された生活をしているうちに、彼らは一足早く別室登校を始めていました。

息子の通う学校の別室登校は、ほとんど機能していない場所でした。
勉強を教えてくれる先生はもちろんいないし、一切課題もない。
勉強をしていると注意すらされる場所でした。
注意される理由は、別室登校の子が教室登校している子たちよりも成績が上がるとよくないからだそうです。

息子の通っていた学校は、不登校がかなり多いにも関わらず、別室登校はビックリするくらい生温かい場所で、不登校について学校側は何の対策もとれていませんでした。

息子が最初に「学校に行ける気がする」と言ったとき、息子はもちろん教室登校をする気でいました。
ですが、「あいつらは今頃どうしているのかな?」と彼らの事をやたらと気にするようになりました。

学校に連絡をした際にその事について尋ねてみると、「2人とも別室登校している」と教えてもらいました。

息子は、「みんなと一緒がいい!」と譲らず、息子も彼らと一緒に別室登校を始めるようになりました。

別室登校を始めるようになると、また電子機器の依存症状が出始めるようになりました。
学校から帰宅するとすごくイライラしているんです。

「ねー!どうして俺だけスマホもゲームもできないの?あいつらは自由に使っているよ」 

「2人とも別室に1回行ったら好きなものを1個買ってもらえるんだって!俺は何も買ってもらえないのに…」

「別室に終業式まで通えたら、クリスマスプレゼントに○○(目玉が飛び出るくらい高価なもの)を買ってもらえるんだって!」

「スマホもないし、YouTubeも見れないし、ゲームもできないからあいつらと話が合わない!今すぐ全部没収したものを返して!」

「別室登校しても楽しくない!今日もあいつらが来ないから1人で一日過ごしたんだよ?こんなに頑張っているのに俺は何も買ってもらえない!俺は誰からも愛されていないんだ!」

彼らは徹夜でゲームをして、寝落ちしたり、気分が乗らない日は登校しませんでした。
お友達と登校の約束をしても、いつも守ってもらえませんでした。
別室登校でずーっと1人でお友達を待つのがすごくつまらないらしく、1人で過ごす日は本を読んだり、寝たり、怒られない程度に勉強をして過ごしていたみたいです。 

電子機器が使えないストレスや、別室登校しても何もすることがなく1人で過ごすストレスを常に抱えていました。

別室登校を始めてから、夜寝る前にネガティブな発言を繰り返すようになりました。

不登校になってから、夜寝る前にネガティブな気持ちを吐き出すようになり、悪いことをたくさん思い出して気持ちがどん底まで落ちると翌日もそれを引きずることがよくありました。

少しでも私の対応を間違えると翌日はピタリと動けなくなるんです。

身体症状も酷く辛そうな息子が少しでも楽になるといいなと思い、夜寝る前にいつもマッサージをしていました。

マッサージを初めた当初は、ガルガルと威嚇する犬みたいに一切体を触らせず、触ろうとすると蹴られたり殴られたり…。 

でも、何度もチャレンジしていくと、足裏を触れるようになり、だんだんと腰や背中、首、頭などもマッサージできるようになっていきました。

マッサージをしてあげられるようになってから、息子の縮こまった身体が柔らかくなり、ぐっすり眠れるようになりました。

そして、マッサージをすると、ポツポツと気持ちを吐き出すようになりました。

私は余計なことを一切言わないように、マッサージに集中して、ほとんど話を聞き流して聞いていました。
息子に呼吸を合わせ、相槌の間や声のトーンにはかなり気を遣いました。

息子がたくさんネガティブな気持ちを吐き出して、自分自身としっかり向き合っている最中だから、私は息子の邪魔をなるべくしないように。

私は壁になったつもりで息子のマッサージに集中しつつ、私のペースに息子を合わせていきました。
私の呼吸や相槌、マッサージの速度を少しずつゆっくりゆっくりペースを変えて、息子がリラックスできるように意識していました。

息子が気持ちを目いっぱい吐き出したら、今度は私のターン。

私は息子にたくさんコンプリメントしました。
そして、存在の価値を伝えました。
息子がどれほど私たちにとって大切な存在なのか、そして、息子にはたくさんのご先祖様が見守ってくれていること、神様も仏様もみんなが息子を見守っているよって子守唄のように伝えていきました。
息子が赤ちゃんの頃、耳の後ろを撫でると眠っていたので、ゆっくりゆっくりと耳の後ろを撫でながら、息子がどれほど尊い存在なのか眠りにつくまで伝えていました。

息子は他の2人が来ない日もあったけど、頑張って別室登校を続け、期末試験は教室で受ける事ができました。

息子の担任の先生は、別室まで息子の様子をほとんど見にきたことがありませんでしたが、一度だけ息子に「職員室に勉強したノートを持っておいで」と声をかけてくれたことがありました。
先生が声をかけてくれたこともあり、職員室まで勇気を出してノートを提出する勇気を与えてくれて、息子のノートを通して先生との絆を深めることができました。

息子が別室登校を続け、ノートを提出した行動が後に先生たちの気持ちを動かす力になりました。

不登校3人組のうち、コンプリメントを実践していたのは私だけ。
他の2人の親御さんは「子どもが動き出すまで好きなことをさせて待ちましょう」を実践していました。

学校側も「子どもが動き出すまで好きなことをさせて待ちましょう」の考え方を大切にしていたので、我が家が再登校を目指す上で、この考え方があり得ないほど足を引っ張る存在になりました。



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