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【読書noteNo.13『痴人の愛』】
「ナオミ、ナオミ!もうからかうのは好(い)い加減にしてくれ!よ!何でもお前の云うことは聴く!」
一体、男はなんでこんなに馬鹿な生き物なんでしょうか。
この作品を読み進めていくうちに、私たち男って女性に弱い生き物で、理性なんかあってないようなもんだな…と現実を突き付けられました。
6月に見た『男女残酷物語』(1966年)という映画も、女性に弄ばれる男を描いた映画でした。最近、こういう映画にハマっています。
予告編はこちら。
閑話休題。
さっそく内容に入っていきましょう。
増村保造(1924年~1986年)が、原作に忠実な映画を撮っています。
この作品を読んだことがない人は、この映画を観た後に読むと、イメージが湧きやすいかな、と思います。
※Amazonからレンタルで観ました。
『100分de名著』というNHKのEテレでも『谷崎潤一郎スペシャル』という形でこの作品を、取り上げていました。
司会の伊集院光さんは、谷崎潤一郎の作品のイメージを、図書室にある合法的なエロいやつ、と言っておりますが、『痴人の愛』もその類いです。
と言いますのも、男性が少女を自分好みの女性に育てあげる物語だからです。
主な登場人物は二人。
まず、男性。河合譲治という名前で、周囲から「君子」と評判される人物です。
一方の少女。ナオミという名前で、西洋人風の少女です。自由奔放な人物。
そんな真逆な性格の少女を育てる、という話ですが、後半になっていくと、完全に主従関係は逆転します。
つまり、ナオミが主人となり、譲治はナオミの奴隷(言いなり)に成り下がっていきます。
それが、冒頭に挙げたセリフです。
この作品を読んでいくうちに、ピンク・レディーの3枚目のシングル『カルメン'77』(1977年)という曲が浮かびました。
この曲の歌詞に次のような一節があります。
まだまだ無邪気なカルメンです
あー純情過ぎると言われてます
そのうちに火のような女になり
ふらふらにさせるつもりです
これできまりです
これしかないのです
あーあなたをきっと
とりこにしてみます
ラララ カルメン
作品冒頭のナオミは、まだ少女です。この歌詞にあるように、無邪気さが残っています。
ところが、徐々にナオミは女性になっていきます。その箇所を引用しましょう。
彼女(ナオミ)は、頭脳の方では、私の期待を裏切りながら、肉体の方ではいよいよますます理想通りに、いやそれ以上に、美しさを増して行っていたのです。「馬鹿な女」「仕様のない奴だ」と思えば思うほど尚意地悪くその美しさに誘惑される。
そして、やがて火のような女になり、譲治を虜にしていきます。物語が進んでいくにつれて、譲治の理性は崩壊していく一方で、ナオミはますます魅力的な女性になっていく構図は読んでて面白い。いつの時代でも、強い女性はいたんですね。さらに、譲治以外の男も誘惑していくほどの悪女に変貌していきます。
さて、この作品の見所はどこにあるのでしょうか。
人には言えない性的倒錯(性欲が質的に異常な状態のこと。分かりやすい一例でいうと、マゾヒズム。)の描写の美しさにあると思います。
私が読んで、恍惚な気持ちになった箇所を引用します。
「ナオミちゃん……」と、私はみんなの静かな寝息をうかがいながら、口のうちでそう云って、私の布団の下にある彼女の足を撫でてみました。ああ、この足、このすやすやと眠っている真っ白な美しい足、これはたしかに己の物だ、己はこの足を、彼女が小娘の時分から、毎晩々々お湯へ入れてシャボンで洗ってやったのだ、そしてまあこの皮膚の柔らかさは、十五歳の歳から彼女の体は、ずんずん伸びて行ったけれど、この足だけはまるで発達しないかのやうに依然として小さくて可愛い。
とても細かい足フェチの描写を読むと、まるで自分の目の前にその足が現れるようでした。谷崎の他の作品でも、女性の足の描写はよく出てきます。人様には云えない自分の性癖をここまで、オープンに肯定する作家は少ないと思います。
私が谷崎作品を好む一つの理由としては、人様には云えない性癖を鮮やかに描く点にあります。
次回取り上げるのは、谷崎潤一郎の『春琴抄』の予定です。