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【読書noteNo.20 生きる意味って見いだす必要ってあるの? 岡崎京子『リバーズ・エッジ』】

前回、こちらの記事で「仕事に意味はあるのか」を考える上で、参考になる漫画として岡崎京子の『pink』を取り上げました。

上の記事で、「仕事は生活を維持する上で必要なアクティビティ程度と普段は捉えて、自分が心の底から欲しいモノに出会ったら、それのために頑張って働く方がいいのでは?」と書きました。仕事に意味を見いださなくてもいいのでは?というのが私の持論です。

今回も、全く同じです。

「なぜ、生きているの?」という問いに対しても、もっと軽く考えてもいいのでは?というのが、私の持論です。別に生きる意味を無理やり見出ださなくてもいいんじゃないの?ってところです。

この考えに至るきっかけになった漫画を今回、紹介します。

前回に引き続き、岡崎京子の作品となります。作品名は、『リバーズ・エッジ』。

二階堂ふみと吉沢亮が主演で映画になってます。Amazonprimeで観ました。(時期によって、観れない可能性がありますのでご注意を。)

原作に忠実な作品で、いい映画でした。

あらすじを簡単に書いておきます。

河口近くのとある街に暮らし、高校に通う主人公のハルナは、彼氏の観音崎のいじめからからかばっているうちに、どこか気になる存在だった山田と親交をもつようになります。山田はハルナに気を許したのか、自分が同性愛者(ゲイ)であることを告げ、自分の宝物(人間の死体)をハルナにこっそりと見せます。山田は、この死体を眺めることを生きがいとしているとハルナに語り、同じ秘密を共有する同士に吉川こずえという後輩がいることを教えます。彼ら三人は、死体の存在を周囲に隠しながら、親交を深めていく中で、次々と凄惨な事件が次々と起こるのです……。


さて、この作品の見所は、山田の次の二つのセリフにあると思います。

自分が生きているのか死んでいるのかいつも分からないでいるけど
この死体をみると、勇気が出るんだ

『リバーズ・エッジ』60頁より引用

「死」がそこにあるから「生」を実感したのでしょう。

山田は、その死体を見ることで、勇気をもらえたのかもしれません。

生きるのが嫌になったときに、「死ぬのはダメだ」といわれても、説得力はあまりないですよね。うるせ~と思いませんか。

しかし、「死体」という身近な「死」があれば、自ずと生きている、という実感は沸くのかもしれません。

私自身も、その実感は少しだけ分かる気がします。今の季節、セミの亡骸が至るところにありますよね。そんなセミの亡骸をみると、ふと、次のように考えることがあります。

あ~、コイツも生きていたんだよな~、嫌な事があってもいつかコイツみたいにどうせ死ぬのだから、今は死なないでおくか…

二つ目のセリフはこちらです。

ぼくは生きているときの田島さんより、死んでしまった田島さんの方が好きだ
ずっとずっと好きだよ
生きてる時の田島さんは、全然好きじゃなかった
自分のことばっか喋ってて
どんかんで一緒にいるといつもイライラしてた
でも…
黒こげになってしまった田島さんは…
死んでしまった田島さんはすごく好きだよ

『リバーズ・エッジ』228頁より引用

この田島さんという登場人物に少し触れておきましょう。

田島さんとは、田島カンナのことです。山田は、同性愛であることを隠して彼女と付き合っていました。彼女は、山田に夢中ですが、一方の山田は彼女に全く興味がありません。そんな彼女は、あらすじでも述べた死体をきっかけに親しくなったハルナと山田が浮気をしていると勘違いをし、ついには嫉妬のためハルナの自宅を放火し、自身も焼身自殺を遂げます。

そんな自殺を遂げた田島さんの方が、生きている田島さんより好き…って、まあなんか分かる気がします。若くして死んだ作家や芸術家が残した作品も、死んだからこそ価値が出るってことはザラにありますからね。


この作品を通して、分かったことがあります。「生きる意味」をしかめっ面をして無理に考えなくても、生きれるってことです。

ハルナは、はじめて死体を見て次のように言います。

もしかしてもうあたしはすでに死んでて
でもそれを知らずに生きてんのかなぁと思った。

『リバーズ・エッジ』64頁より引用

ハルナの内に住む異常なまでに暗く覚めた感覚、虚無感(ニヒリズム)。このニヒリズムも、突き詰めてしまうと問題ですが、ある程度のニヒリズムは大事だと思います。

だって、今の社会は情報が溢れすぎていて、何が正解か分からないから。

ある程度の冷めた感覚って必要だと思います。

あいみょんの初期の頃の曲『生きていたんだよな』に次のような歌詞があります。

ああ「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥か遠くへ
希望を抱いて飛んだ

『生きていたんだよな』より一部引用


生きることが善で、死ぬことが悪、ということはないですよね。逆も然り。

どっちが偉いってことはありません。

この歌詞にあるように、「今ある命は精一杯生きなさい」なんて本当に綺麗事だな~と最近思います。

だって、死ぬ理由がないから生きるだけですし…。別に生きる意味は、見いだしていません。

幸い、今は死にたいという気持ちは皆無ですが、そういった気持ちが全く起きないか?と言われれば、可能性は否定できません。

人間って、そんなに強い生き物じゃありませんから。

自分だって、そういう時がいつかはくるかもしれないな~と常々思います。

今の自分にできることは、生きる意味を無理に見いだすのではなく、不器用でもいいから、淡々と生きる事なのかな~と足りないオツムで考えたのでありました。

次回、取り上げるのは再び坂口安吾に戻りまして、表題の『桜の森の満開の下』と『白痴』の二作を取り上げる予定です。






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