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【読書noteNo.27自分が知らないキモい感情を知るために、文章を書き続けるのだ 『書けないんじゃない、考えていないだけ。』】

文章というのは、つまるところ「キモさの見せ合い」です。誰がよりキモい文章を書けるかの勝負。文章を書く人間にとってキモさとは「強さ」。その戦いを制するため、私は自分の中に「イマジナリー秋元康」を飼っています。

『書けないじゃない、考えていないだけ』77頁より引用

なぜ自分は文章をこれまで書いてきたか が、この本に出会って分かった。

自分はキモくなりたかったんだ……

去年読んだ『勉強の哲学』を読んでから、勉強に対する考え方が、自己成長とかくだらない目的から、キモくなるために自分は勉強するんだ!とキモさを積極的に受け入れるようになった。これが、まずキモさの第一関門の通過だった。

勉強とはまず、子賢く口ばっかりになることです。僕は確信をもってそう言いたい。勉強によってノリが悪くなる、キモくなる、子賢くなる。勉強する以上、それは避けられない。それが嫌であれば、勉強を深めることはできない。

『勉強の哲学  来たるべきバカのために  増補版』
文春文庫  162頁より引用

しかし、である。

文章となると、全く違っていた。

当り障りのない文章になっていたのだ。

最近の書評でも、この文章だったらウケるかな~と下心丸出しな気持ちで書いていた。

美女をチラチラみている奴と同じくらい、いい子ちゃんじみて、キモいじゃねえか!「不真面目を真面目に」のモットーはどうした!
それが本当のお前なのか!

今回紹介する本を読んで、自分が本来持っているキモい感情を蓋にする方がよっぽどキモいじゃねえか、と考え直した。


どんなに足掻いても、吉沢亮や藤井風にはなれない。自分が知らないキモい感情を知るために、文章を書いているのだ。

岡崎京子の漫画が原作の映画『リバーズ・エッジ』を8月に観た。

ストーリーが面白かったのは勿論だけど、そこに出てくる吉沢亮のお顔立ちが、まあキレイだこと、キレイだこと。

ダンプカーに轢かれて、吉沢亮の顔になれるのならなってみたい、と思えるほど美しい。

演技も上手くて、顔もいいのか…

そして、あともう一人。

藤井風だ。

私が、彼を初めて知ったのは、『grace』という曲からだった。この神秘的な曲といい、その彫刻のような整った顔、才能といい、「天は二物を与えず」という諺があるけど、嘘をつけよ、二物も三物を与えてるじゃねえか…。

このお二方については、嫉妬の感情すら芽生えなくなった。

そう、イケメンと呼ばれる人間と私は違う。

別世界の人間なのだ。

ただ、誤解をしてほしくないのだが、決して卑屈になったわけではない。

むしろ、自分が持っているものはなんだろうか?とやっと、自分自身とちゃんと向き合えるようになったのだ。そう、自分でも知らないキモい感情とは何なのか?を知りたくなった。

ある本を読んだとする。

その時、自分が抱く感情はどういう感情なのか?場合によっては、自分がひた隠しにしたい、ドロドロとした感情が泉のように涌き出てくるかもしれない。

この本では、さらに次のように言っている。

秋元康のメンタルを心に君臨させることは、文章を書く上で大きな力となります。自分の中にあるキモさを解放し、覚醒させましょう。「こんなもん人に見せて大丈夫なのか?」と思う文章にこそ唯一無二の価値があるのです。

『書けないんじゃない、考えていないだけ』93頁
より引用

この本で紹介されている秋元康といえば、美空ひばりの『川の流れのように』といった名曲から、AKB48といったアイドルグループの曲の作詞で有名だ。しかし、この本を読むまで知らなかったが、『口移しのチョコレート』という大人な曲を秋元先生は作っていたのだ。

チョコレート 口移しして
いつものキスじゃつまんないよ
強引にねじ込んで…

『口移しのチョコレート』の一番の歌詞の冒頭部分より引用

タイトルからして危ないけど、その先の「強引にねじ込んで」って……。

著者は、秋元康はおそらく「恥ずかしい」という感情が欠落している、と分析している。

「恥ずかしい」という感情を捨てた向こう側に、自分の知らないキモい感情がある。

その感情を知るために、私はこれから文章を書き続けなければならない……。

次回、取り上げるのは、フランスの詩人アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』の予定です。














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