適応障害の記録
7月27日に「心」という記事を書いた。
今回はその続き、とも言えるような話である。
この日からもちろん進展はあった。順を追って述べていきたい。
7月29日、あまりの副作用の酷さに、トリンテリックスの量を半分にしてもらった(20→10mg)。これで様子を見ることになった。
8月1日、トリンテリックスがさらに半分になった(10→5mg)。
8月5日、クライアントとの契約が終了となった。いつ戻って来るかわからない私を置いておくことはできないとのことだった。そのことは理解できるし、していた。しかし当時の私にとって、その言葉はあまりに厳しかった。戻る場所を失ったという感覚と、私など必要とされていないんだという思いに襲われ、やり場のない感情に苛まれた。
8月7日、本社へ行き、クライアントからの貸与物を返却。
その後心療内科へ。やはり副作用が落ち着かず、薬を変えることに。制吐剤も含まれているオランザピンという薬に変更になった。これにより日々の吐き気はおさまり、その分楽になった。
しかし、頭痛には相変わらず悩まされる日々が続いた。胸痛も治まる気配を見せない。
8月19日、上司2人とオンライン面談。現在の状態を話し、総合病院への電話と他の科の受診を提案された(その後、総合病院には電話したが、頭痛であればやはり以前と同じ内科で診てもらえばという結論だった。また、他の科を受診する気にはなれなかった。そんな労力はない)。あわせて、次回通院時に診断名を教えてもらうこと、休職扱いになることの2点を告げられた。
8月21日、医者に診断名を尋ねた。適応障害だった。診断名がわかったからと言って楽になるとかそういうものではない。自分の状態が明文化されたことはいいことというか、他人に説明するうえで使えるものが増えたという点で安心材料になる。だから何だ、という話ではあるが。
そのあとも頭痛や胸痛、動悸に襲われる日々は続いたが、少しずつ頻度は減っていっていった。しかし、ここで新たな悩みが出てきた。寝つきが悪いのである。夜にいろんなことを考えすぎてしまい、布団に入ってから入眠するまでの時間が長い、という状態だった(1-2時間は眠れていなかった)。
9月4日、寝つきが悪い件を医者に話すと、抑肝散加陳皮半夏を処方された。漢方である。これを飲むと寝つきが良くなるらしい。ということで、飲み始めた。
9月27日、本社訪問。自分の思いを上司に直接話した。この生活に飽きてきた、そろそろ動き出してもいいと思っている、しかし最初からフルタイム週5日は厳しい。上司からは、そのような条件のクライアントはないが、7-7.5時間勤務のところならある、そのようなクライアントを視野に入れ今後の流れを設定するとのことだった。ありがたい話である。私の思いをくみ取ってくれるいい上司である。
そして10月に入る。ここからは一般的に「最近」という類に入るのだろう。
悩みは朝起きられないこと。7時に目覚ましをかけても起きられず、遅くて14時まで寝てしまう(平均は9-11時)。寝る時間(寝ついているであろう時間)は0-1時であるため、7時に起きたとしても6-7時間の睡眠は確保できている。
10月16日、医者に起きられない件を話した。まだ長く睡眠すべき理由があるのでは(ストレスによる疲れが溜まっているなど)、もう少ししたらちゃんとした睡眠時間になってくるのでは、とのことだった。それならまあ仕方ないか、と思った。
今の私を説明するのにもっとも適切な言葉は「活力がない」である(傷病手当申請書には「意欲低下」と書かれていたが、それもなんか微妙に違うなと思い、探った結果である)。何をするにも活力がない、エネルギーがない。不足している。私は私の一番良い状態を知っている。そのときの50-70%くらいまでしか戻ってきていないと感じている。私の100%はこんなものではなく、まだまだ元気になれる。ただ、元気になろうと思って元気になれるわけでもない。活力が戻るその日をじっくり待つしかないのである。
来月半ばには新たなクライアントにて業務が始まる。それまでにいくらか活力が戻ってきてくれればいいなあ、と思っている。