見出し画像

【適応障害】活力のなさをめぐって

前回の記事で、今の自分の状態は「活力のない」状態であると述べた。

今回はこれについて、詳しく書いていこうと思う。

「活力がない」とは具体的にどのような状態なのか。端的に言うと、「意欲がわかない」状態である。何もしたくない、ぼーっとしていたいという思いが圧倒している状態。ただ、ずっと無意欲というわけではない。「今本読みたいかも!」と思って読書を始めることもあるし、「『デイジー・ミラー』論書きたい!」と思い立って書くこともあるし、「練習したい!」と思い立って練習することもある。また、やらねばやらないことはしっかりやっている。家事も練習もやらねばならないことである。ただ、何をしていてもどことなく元気がなくて(という言い方は少し語弊を生むかもしれない。しょんぼりしているときもあるし、比較的軽度で70%くらい元気があるときもある)、頭の回りもよくない。

こういうことは、他人から見てもわかるようである。実際、「今日元気ないね」などと指摘されたことがある。元気がないというか、活力がないのであるが。また、以前より愛想が悪くなったようである。もちろん、自分では悪くしているつもりはない。自己表現として何かを変えたわけではないが、そう受け取られているわけである。
正直、心外である。私は私なりに元気を出そうなどと思ってやっているのである。人前に出るときは家にいるときよりずっと元気に見せているのである。私なりに頑張っているのである。それがまったくと言っていいほど伝わっていない。理解のない人間にそういうことを説明する気も起きない。元気溌溂な人間に活力がない状態を理解してもらえるとも思っていない。

世間はこれを私の努力不足とするのだろうか。そうなんだろうな。私の努力が足りないから元気がないしもとに戻らないし活力がない。そう思われるんだろうな。
でも、違う。そうなのではない。高い壁を乗り越え、あの酷い状態を耐え抜いたからこそ今ここまで戻ってこれている。私は頑張ったのである。これ以上頑張れと言わないでほしい。今私にできることは、平行線になっている回復状況が右肩上がりになるのを待つことのみである。薬を飲んで、普通に生活して、活力が戻るのを待つ。これ以上でもこれ以下でもない。

いいなと思ったら応援しよう!