【適応障害】退職を決断
先週8日に「今日の私(循環器内科受診)」という記事を書いた。そこにあるように、通勤電車乗車時から悪心が出てくるという状態であった。その翌日も、職場には行けたものの、同様の症状で何もせず帰らせてもらった。帰りに心療内科に寄った。この頃の症状を伝えると「以前と同じ感じだね」と言われた。この症状は、適応障害のいわば「残党」だったのである。
このまま仕事を続けていては去年の夏と同じことになってしまう。実際、今、そのようになる一歩手前まで来ているではないか。クライアントを変えたのにもかかわらず同じことが再度起きてしまうということは、この職は私には合っていないということである。であれば、一刻も早くここから離れ、健康的な生活を送れるようにするのが得策である。
私はこのように考え、その日の夜に、退職を決断した。あとはいつ上司に申告するかだったが、その翌日(当然のことながら欠勤)に私から話したいことがある旨を直属の営業担当に伝えると、部門長が土曜に電話をくれることになり、そこで退職の申告をすることとなった。
電話では、ここまで書いてきたことに加え、会社への感謝(入社前から密に連絡をくれたり、休職中コミュニケーションをとってくれたり、新クライアントを探してくれたり、いろいろと世話になった)を述べ、やはり健康のために職を離れ、新たなステージに進みたいという旨を伝えた。部門長には特にお世話になっており、「私としても残念」の気持ちを心から伝えることができたと思う。
この仕事が好きか嫌いかで言ったら嫌いである。これは申し訳ないが、揺るがない。不特定多数から電話がかかってくるだけでもストレスなのである。この仕事をここまで続けてこれた(休職はしたが)のは他ならぬ義務感・責任感からである。私はやらないといけない、貢献しないといけない、そのような義務感と責任感が、私を駆り立てていた。しかし、その二つが私を適応障害へと追い立てていたのは事実である。今後生きていくうえで、それらをどうにかしようとは思っていない。これが私なのである。思い返せば、これまでの人生もそうだった。義務感と責任感で自分を奮い立たせ、なんとかやってきた。今回は、それが自分にとって逆効果だったパターンである。義務と責任を感じるのは社会人の責務であると思っている。当然のことである。だからこそ、それらを感じない道はない。これからもそれらに向き合いながら、自分を生きていくことになる。
これからのことは、これからゆっくり考える。ただ、収入がなくなると厳しいため、できるだけ早く職に就きたい。自分のやりたいことができますよう。