lotus
久しぶりの投稿。 ここ数年、某所に旅立っていたのだけれど、少しずつ作業環境の変化を感じ、半年前から具体的な選択肢として退職が見えてきた。 その後いろいろあって、「異動」という形で落ち着いたのだけれど、ぎりぎりまでどうなるかわからない状況が続いていた。 そして来たるべき5月1日、無事に最終日を迎えることができて、部署からも、立地からも離れることができた。2日に引っ越し。GWで新しい環境整備を進め、いまここ。 少しでも早く離れ、「もう戻れません」という状況を作りたかったので
昨年末、父親が亡くなった。 癌だったのだけれど、転倒からの検査からの癌発覚から死亡までは、1ヶ月を切る短さだった。 その後のバタバタは、近しい親族を失くした経験がある人ならイメージがつくと思うのだけれど、すぐにやらないといけない手続きだったり、すぐではないけれど必ずやらないといけない手続きなどがいっぱいある。 その一つに「相続登記」がある。 登記にはいくつかの種類があるようで、うちの場合は車と家と土地が対象だったのだけれど、車の登記変更は(ほんとはダメらしいけれど)少しく
久しぶりにのnoteを書いてみようかな、という気持ちになった。 文章を書くこと自体、あまりにも久しぶりすぎて、 書きたいことが思い浮かばないけれど、 つらつらと書き始める。 最近、新NISAなるものをはじめた。 前から耳にはしていたけれど、 先にiDeCoをはじめてしまったので、NISAは先延ばしにしていた。 最近の家計アプリを見ていて、いくばくかの余剰金がでていることと、 大きな出費は、これから病気以外ではなさそうだなと思い、はじめてみることにした。 証券会社は2つ候
アスファルトを踏みしめるスニーカーの靴底の、 底の厚さを足の裏に感じながら歩を進めていた。 陽光散々弾 我歩進行也 陽光散々(さんさん)と弾け 我、歩を進め行くなり 風が頬をかすめ、冷たさに身を固める。 瞼を上げ、風の来し方に視線を向けると、 一面に広がる青き、白き水面。 海と呼ばれるその景色は、今では日常となっていた。 冷風海来 其海遥広 日常風景 青白混波 漂様唯見 冷風海より来たる その海遥かに広がりて 既に日常の風景となりしか 青白(せいはく)混じりて波とな
昔っから「食」にあまり関心が無かった。 「関心が無い」の定義も様々だろうけれど、何か美味しいものを食べたいという欲求の強さ、そしてその為にできる努力の量、というのではどうだろうか。そういう意味で、私の「食」に対する優先度は低い。 子どもの頃を思い出してみると、記念日等に家族や親族で美味しいものを食べる為外食をする、というのはよくあることだろうと思う。そして私はかなり近い距離でも車酔いをし、「車に乗る」と言われるだけで気分が悪くなる体質だった。なので、そのような提案を受けて
いよいよ私が住んでいる町でも緊急事態宣言が発令された。となると、自然と1年前を思い出す。 noteでは知り合いもほぼいない為か率直な記事が多い。1年前の4月~6月くらいの記事を読み返し、懐かしいと感じることもあればもうすっかりその感覚を忘れていることもあった。 先週末、前職の同僚2人と緊急MTGを開き、個人的な某事項について話し合っていた。話が終わり雑談会になったところで「人生で戻れるとしたらいつに戻りたいか」という問いが投げかけられた。 答えはもちろん三者三様ではある
ひさびさ、noteへの投稿。 前に書いたのはいつだったか。多分かなり寒かった頃なんじゃないかと思うけれど、今はすっかり暖かくなった(でも今日はちょっと肌寒い)。 新しい環境(住居、職場)にはもうけっこう前から慣れていたのだけれど、最近もしかしたらちょっとした変化がありそうで、どうなるのかな、と様子を見ている。「今のままがずっと続けばいい」と思うこともあるのだけれど、そういうわけにはいかないこともある程度生きてくると分かってくるので、致し方なし。 今まで転職を何度かしたけ
もうこちらでの生活にもだいぶん慣れたな、と思いながら、久しぶりのnoteを開いてみる。折に触れ、「この話、noteに書きたいな」というテーマが思い浮かび、携帯にメモしていたりするのだけれど、なかなか書くまでに至らない。単純に私の惰性、不測の致すところ。 この土地を気に入り、生活を気に入り、仕事も気に入っているので、おそらく幸せなんだろうと思う。永遠に続けこの惰性、と思うときもあるけれど、人生そうは問屋が卸さない、と囁く声も聞こえる。そろそろ、少しずつまた変わっていくときなの
珈琲をあまり飲まない生活になった。何か強い意図をもった結果そうなっているというわけではなく、なんとなく流れでそうなっている。 環境が変わると、その状況に合わせて自分の中から現れ出てくる部分も変わってくる。そんなことは分かっていたけれど、最近の環境の変化、特に職場環境の変化で思うところは多い。 noteだからこっそり書いてしまおう。以前の職場は社風の影響が強いだろうけれど、社員が表立って誰かの悪口をいったり貶めるような発言は、少なくとも公にはとても少なく、いわゆる(私からみ
新居に引っ越して1ヶ月と少しが経ち、コバエにも、ゴキブリにも、蜘蛛の出現にもへこたれずに、むしろ新居を愛するようにさえなった日々。 突如、ショックに打ちのめされた。昨夜の12時過ぎ、携帯でゲームをしながら背中にむずがゆさを感じ、手で背中を掻いた後戻したその手に、なんだかよく分からない黒い長いものが付いていて、「なにか」と判別する前に手を振って下の布団に落とす、という出来事。 布団を這うその物体は、過去の記憶を呼び覚ます。何十年も前に見たあれ、そのくねくねと素早い独特な歩き
10日程度前より今の地に引っ越し、1日より新しい職場で働きはじめた。生活も仕事も、両方の環境が変わって、特に京都に20年以上住んでいた身としては、新しい地での生活のほうが、変化が大きいのかもしれない。 そんな中ではじまった新しい職場での新しい仕事。あまり仕事のことをnoteに書くのもな、という気持ちもあるので、まあ、「よいな、と思うところもあれば、「?」と思うところもある」くらいにしておこうか。テンションが一気に上がった、ということも無いし、落ち込みがひどい、というほどでも
先週末、京都から神戸へ引っ越した。引っ越し日当日に、持っていく予定だった机の引き取りを断られ(天板がガラス製だと引き取りNGらしい。業者さんによると思うけれど)、翌朝京都を旅立つ私は、大慌てな事態となった。リサイクルにも断られ、結局はまとまったお金を出して民間の大型ゴミ回収業者さんにお願いをしたのだけれど、良い勉強になった。高い勉強代だった。でも当日に引き取りにきてくれて、本当によかった。 翌日新居入りをしたのだけれど、この日は非常にスムーズな一日で、「また何かあるかも(例
お久しぶりです。noteは、もうどれくらいぶりだろう。 たまに「note書かないとな」と思いつつ、何を書けばいいか分からなかったので、そのままに。季節は春から夏に移り変わり、今は9月。そして私のロングバケーションもそろそろ終わろうとしている(昔あったドラマに習い)。 この数か月の空白は、本当に無意味な、生産性のない時間だった。私にとっては良い意味で。最初の1、2ケ月は、それこそ「意識」をして毎日を過ごしていたような気もするけれど、後半のほうになると、やる気もなく、ぼーっと
休眠4ヶ月間に入り、そろそろ次の仕事のことを考える時間が多くなった。特に人生後半期の仕事選択の際、直接の「仕事」だけでなく、それ以外の価値観や優先度などを検討する比率は高くなってくるのではないかと思うけれど、そんなことをぼんやりと考えているうちに、「可処分時間」という言葉が思い浮かんできた。 「可処分所得」とは、自分自身で自由に使える所得のことだけれど、おそらくそこからインスパイアされた言葉で、「自分が自由に使える時間」とでも定義すればいいだろうか。 たとえば、その仕事自
あっという間に7月になってしまった。 前回noteを書いたのはいつだったか、覚えていない(確認しろよ。。) でも、けっこう前だったんじゃないかな、と思う。 6月にしていたことといえば、読書、羊毛フェルト、タティング、旅と旅行、細々と続けている占いのお仕事、ゲーム、何日か遊び、WEBの集まりに参加をし、動画を定期的に見る、という感じだった。この中で6月に入り新たに加わったもの、となると、読書熱が再燃し、狂ったように図書館で本を借りて読んでいたことだろうか(図書館再開の影響も