「可処分時間」という概念
休眠4ヶ月間に入り、そろそろ次の仕事のことを考える時間が多くなった。特に人生後半期の仕事選択の際、直接の「仕事」だけでなく、それ以外の価値観や優先度などを検討する比率は高くなってくるのではないかと思うけれど、そんなことをぼんやりと考えているうちに、「可処分時間」という言葉が思い浮かんできた。
「可処分所得」とは、自分自身で自由に使える所得のことだけれど、おそらくそこからインスパイアされた言葉で、「自分が自由に使える時間」とでも定義すればいいだろうか。
たとえば、その仕事自体がやりたくて、やりたくて、時間が過ぎるのも惜しくない、という場合もあるだろうと思う。そういう場合はあまり関係無くなるのだけれど、「労働としての仕事」の要素が強い仕事に就く場合、給与が多少低くても、仕事が多少面白くなくても、職場環境や人間関係が多少好ましいものでなくても、それが最低限を維持しているならば、「可処分時間」が多い、少なくとも少なすぎない、ということが大切なポイントになるかな、などと思った。分かりやすく言えば、時間外勤務がなく(もしくは少なく)、それが許される職場環境、というイメージだろうか。
まあ、先にも書いたとおりどんな仕事に就くかでこの辺りは変わってくるのだけれど、なんとなく頭に思い浮かんだ「可処分時間」という概念が、なっかなか興味深い。
こういった概念自体がイメージしずらい人も、きっとおられるのではないかと思う。例えば、自己実現的な意味で仕事をしておられる人は、「仕事=可処分時間」になるだろうし、何かの責務・役割を果たすために仕事をしておられる人は、可処分時間の必要性自体をあまり感じないかもしれない。
では、可処分時間は大体どれくらいあったらよいのだろうか。もちろん「24時間すべて」という場合もあるだろうし、他の要素によって都度変わってもくるだろう。事例として、今の自分がイメージするものは、最低限が「休日(週2日)+1日12時間+年の有休10日くらい」であり、理想的には「休日(週3日)+1日16時間+年の有休20日くらい」だろうか。
実際、日本人の平均値はどれくらいなのだろうか。年齢別、世代別、家族構成や役割別、収入別、業種別、地域別、その人の「可処分所得」必要度別、などによる違いを見てみたいようにも思う。