「食」への関心
昔っから「食」にあまり関心が無かった。
「関心が無い」の定義も様々だろうけれど、何か美味しいものを食べたいという欲求の強さ、そしてその為にできる努力の量、というのではどうだろうか。そういう意味で、私の「食」に対する優先度は低い。
子どもの頃を思い出してみると、記念日等に家族や親族で美味しいものを食べる為外食をする、というのはよくあることだろうと思う。そして私はかなり近い距離でも車酔いをし、「車に乗る」と言われるだけで気分が悪くなる体質だった。なので、そのような提案を受けても乗り気にはなれなかったし、義務感いっぱいで参加をするか、もしくは一人留守番をし、自宅で食べるお茶漬けが何より美味しかった。車酔いの影響なのかよくわからないが、外食先ではほとんど食物を受け付けず、ほんの2,3口でお腹がいっぱいになり、場が持たない場合は箸で食べ物を突っついて時間稼ぎをする、というマナー違反なことをしていた。
高校生の頃、友人同士で少し遠い町まで買い物などに行くことがあった。お昼は当然外食になるのだけれど、外食プレッシャーが影響してか当然のように最後まで食べれない。なので友人たちの目が気になるものの「残す」という例外的行為をせざるを得なかった。外食の時間は私にとってはミッションだった。如何に最後まで終わらせるか、という。
変わったのは大学生になった時からだった。地元を離れ一人暮らしをし、大学生らしくサークル活動に参加をし、当然のように先輩たちや同期の人たちと食事に行くことになり、そして「ご飯を残してしまい、先輩たちからなんて思われるだろう」ということを気にしていたのだけれど、最初に行った王将という有名な食事処(笑)でなんともなく、つまり最後までラーメンを食べることができ、なんなら餃子も美味しく食べ、そして回を重ねる毎に「ラーメン2玉」注文までしてしまう始末となった。
この頃から外食自体に対する苦手感は無くなったのだけれど、だからといって食に対する優先度が高まったかというとそうでもない。例えば「雑誌に載っていたあのお店に食べに行こう」とか「◎◎県にうどんを食べに行こう」とか、「◎◎という食べものを食べてみよう」等という食に対する好奇心は低めで、近く、安価で、そして並ばなくてよいお店ならば行ったが、わざわざ高いコストをかけてまで行く、という気持ちにはなれなかった。その辺にある「普通のもの」で十分に満足だった。
この傾向は今も続いている。折角、食の宝庫である地域で仕事をすることになったのに、散策しようという気持ちにはまったくならない。それよりは、本を読んだり、ゲームをしていたり、何か自分のしたい作業をしていることのほうが遥かに楽しかったりする。御飯も普通で十分で、料理を作るときも手軽で、お腹が満たされば問題ない。買ってきたものであってもOKだ。とはいえ、コンビニが通勤路、及び職場にない場所に引っ越してしまい、毎日お弁当作りをしている為、無職期間の節約生活で8キロ、そしてそこから今までで2キロ痩せ、健康的な身体になってきている気がする。10キロ痩せるというのは、一気に痩せたら別だけれど、1年くらいかけてしまうと、それほどその変化に気づかない。だけどふとしたときの身体の軽さなどは感じ、「維持しよう」などと思うのだった。食への欲と、体重との相関関係などはあるのだろうか。これも食の定義によるような気がする。最初にした定義で考えると、寧ろ欲求が高い人は痩せている、もしくはそれほど太っていないような気もする。どうなのだろう。