そのとき必要なもの
もうこちらでの生活にもだいぶん慣れたな、と思いながら、久しぶりのnoteを開いてみる。折に触れ、「この話、noteに書きたいな」というテーマが思い浮かび、携帯にメモしていたりするのだけれど、なかなか書くまでに至らない。単純に私の惰性、不測の致すところ。
この土地を気に入り、生活を気に入り、仕事も気に入っているので、おそらく幸せなんだろうと思う。永遠に続けこの惰性、と思うときもあるけれど、人生そうは問屋が卸さない、と囁く声も聞こえる。そろそろ、少しずつまた変わっていくときなのだろう。
前職退職の少し前から続けていたポータルサイトでの占いのお仕事をそろそろ辞める時期かもしれない。元々占いは趣味からスタートし、自分を、そして友人を、そしてお仕事として拡がっていき、携帯の占いコンテンツの文章を作成したり、個人的にワークショップをしたりしたけれど、今は某占いサイトで鑑定をしている。はじめたときは、来るべき退職後の布石或いは予防線としての意味合いが強かったように思う。あれから空白の時間、そして今の生活がはじまって定着するまでの間、それほど加重ではなかったもののお仕事として携わってきたけれど、いつ頃からかこの形態での活動はそろそろ辞め時かもしれないと思い始めていた。最後の踏ん切りをいつつけるか。それは昨日突然やってきて、そして今日もそのまま在る。でもまだ8割くらいの気持ちで、「伝える」という行動を起こしたら物事が本格的に動きはじめる。
特に大きな不満も負担もないので、続けようと思えば続けられるのだけれど、思うところもあって一旦辞めたほうがいいような気がしている。転職時とか、引っ越し時とか、大きな転換期であれば腹はくくれるものの、それとは質が少し違い小さな決断は、ついつい先延ばしにしてしまう。けれど、学んだことは活かさなければならぬ。
次に何をしようかな、というのは、いくつか思い浮かび、流れていく。何もしないような気もするので、「だったら続けておけばいいじゃないか」という声も聞こえるけれど、それも違うだろう。
部屋にものを増やさないように、人生にものを増やさないように、今そのときに必要なものだけを、と思うのだけれど、たまにまた溜め込んでしまう。それに気づいたら、少しの様子観察の期間を経た後、やっぱり整理をしないとね。今回もそんな感じ。
変わっていくものに合わせて都度変化をさせていく。そうだと思えば潔く手を放せ。だけど、継続が力になることもあるんだな。いずれの道も。