日本語の余白の魅力
もののあはれ。
むかしは、古典の何がいいのか、さっぱりわからなかったが、最近は、はっきり言葉にできないこと、目に見えないものを感じようとする日本人の感性がよいな。その感性を磨いてきた先人がすばらしいなと思うようになっている。
NHKの100分de名著では「ウェイリー版・源氏物語」を見た。
そこでテーマになっていたのが「もののあはれ」。番組の中では、
「もののあはれ」とは、「ああ……」と感嘆するしかないような心の動きを描くときに使われる動的な言葉
と解説されていた。
「もののあはれ」言葉の響きが、やわらかくて、なんとなく、わかるようなわからないような。
英語に訳されると、具体的な言葉に固定化される印象があったが「もののあはれ」は、説明的ではない。
感嘆しているのは、何に対して、どんな感情なのか、読む人それぞれにゆだねられていて、想像の余白に満ちている。
日本語は主義主張で説き伏せたり、対立をうまないような構造になっているらしい。
同じものを見て、感じる。
どう感じるのかに正解、不正解はない。
自分の母国語の成り立ち、特性を知るだけでも日本のことが好きになる。
日本語のことに興味をもてるようになったのは、金谷武洋さんの「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」(飛鳥新社)を読んでから。