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捨てる勇気

(心のカタチより)

人は嫌な事はよく気がつく。それが心に引っかかりその嫌な事を捨てれずに引きずる。拾わなければいいのに。拾ったうえに持ちつづける。

何でだろう♪何でだろう♪な、な、な、何でだろう~♪

人は落ちていたゴミを拾うとそのゴミを捨てる方法や捨てる場所が見つからないと持ちつづける。場合によっては元のところに置いたり、こそっとバレないように捨てる人もいる。そもそも、拾わない人もいるかも知れないが、自身に起きる出来事には避けてはとおれないゴミとなるリスクがある。

それはゴミの捨てる方法がなく、出来事も自身の心が納得する捨て方も判らずに持ちつづけてしまう。

ただ、ひとには脚があるカラダがある考えるチカラがある。それを使えば”ゴミはゴミ箱へ”と捨てに行くこともできる。要は自身に起きた出来事をどうするべきか常日頃の方法を持たないことに最大の理由があり、それを嫌がる原因のこころを納得させれずにいる。

そのゴミはリサイクルできるものかできないものか。そのゴミの仕分けはどれになるか。仕分けたゴミは何曜日(いつ)なら出せるか。ひとはルール(ほうほう)があれば、ほとんどのひとが迷うことなくゴミを捨て、かつ、ゴミを捨てたことに心を引きずることはない。

そんな人々が自身に起きた出来事をどうする事もできず心に持ちつづけてしまう人がいる。その出来事がどれほどの”もの”か自身が判ってもいるはずなのに常日頃の方法がないため、その都度考えてしまう。

そもそも、考えて出来る方法があるなら常日頃のルールにも出来るし、そこまで悩む事もない。ルールがあれば迷うことなく納得できる方法になるからだ。

自身に起きた出来事がどんだけ大事なのか。意外と自身のこころに問うだけで判る”もの”ばかりかも知れません。それが”好き”か”嫌い”か。”幸せ”か”不幸”か。自身に起きた出来事がどちらに分類されるものか感じれば、"持ちつづけるもの”が"忘れたいもの”かが簡単に判るはず。

それでも”嫌い”や”不幸”を感じる出来事を持ちつづけるのはどうしてか。自分の心に問いてみれば、それさえ『自覚もせずに』持っている。それは持つ理由もなく持ちつづけてしまい、拾ったゴミを捨てる方法も捨てる場所も見つけれず持ちつづけるのと同じ、自分にとって何のためにもならない事をしている。

自分がわらしべ長者を願っている訳でもなく、不要な”もの”は不要とルールすればいい。

そして、不要な出来事(心に持ちつづけているもの)は早々に考えるまでもなく捨ててみれば”答え”が分かる。そのゴミでも持ちつづけるべき”もの”だったか、あとで気づく”もの”もあるが、まぁ。そんな”もの”は最初から必要な”もの”と解りもし、解からずに持ちつづけることはほぼないのですが。

そんな”こころの気づき”があればひとはそれを経験とし、次は同じ事をしなくなる。それがひとであり、それがルールとなり自身を守れるようになる。

人は心を悩ます出来事を何を勿体ないと思うのか捨て切れずにいる。嫌な事はよく気がつくのなら、それこそ不要と判り『捨てる”もの”』と出来るはず。

人はどうしてそれが出来ないのか。
『心悩ませる”もの(ゴミ)”』は捨てると、それさえ判らずにいる事に今まで気づいてない事にある。

そんなでも、こころはどれだけ大事な”もの”かを判断し自身に知らせているはず。好きか嫌いか。幸せか不幸か。と感情を湧かし判りやすくしている。

大切な相手。大切な物。大切な出来事であっても、その意味が本当に判らなければ心に持ちつづける必要はないのです。今の自身のこころの中に理解できない出来事となる捨てれる”もの”は沢山あるのです。

必要な大切な出来事は捨ててしまっても、また起きるから安心していいのです。それが本当の意味で必要な”もの”なら。

そうしないと心のキャパシティは簡単にいっぱいになり、心病(やま)す理由をつくるのです。

自身がそれを望んでいるのなら仕方ありませんが、そう望むひとはいないんじゃないでしょうか。それは心悩ませたいひとは誰一人いないからです。

ちょっとだけ捨てる勇気を持つだけです。ゴミを持ちつづけるのではなく、捨てる勇気を持つのです。

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