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トラウマの癒し:身体に封印されていたもの (3)

トラウマの癒し:身体に封印されていたもの②の続きです。
形になったあの日の記憶をワタシは自分から生まれた作品として気に入ります。封印された記憶がもたらす感覚についても書いています。

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●Nothing●

Nothing、その一言から感覚的なものを伴って身体に記されていた光景が、まるで詩のような形になって、ワタシの前に現れた。そのことに驚いた。

文法を気にすることもなく、読む人のことを考えるでもなく、伝えることを意識するでもなく、身体から出て来るものをただ書き記しただけ。

今後少しずつ自分の経験したことを書いていこうと思った時に、ただ純粋に書き綴りたいと思った。純粋が何を意味するかも分からないというのに。けれど、それができたような気がして嬉しかった。一つの作品がワタシの中から生まれたような気がした。ワタシの経験が作品になった。そのことにも驚いた。そしてワタシはその作品を気に入った。

●封印された記憶の感覚●

ここで少し、トラウマの原因となった出来事に関するワタシの記憶がどうなっていたか説明しておこうと思う。

この出来事に関する記憶は心理的な防衛システムによって、ワタシの意識が届かないところに長い間封印されていた。記憶が消されているわけではなく封印されていただけなので、うっすらと

「そういうことがあったっけな・・」

と、ごく稀に意識に昇って来ることはあった。
でもそれは、ぼんやりと夜空を見上げて

「そう言えば、犬座ってあったっけな・・」

と思い出すのと同じように全く意味を持たず、そして日常からかけ離れた感覚だった。

出来事のことをはっきりと認識したのは、アメリカ留学中に学んだ児童心理学で心理的な防衛システム(防衛機制)のことを知った時だった。

「ワタシ、これだ・・」

と直感した。出来事のことを思い出すというよりも「犬座はあそこにあったね」と認識するようなもので、やはり遠い彼方の話しだった。

ニュースで他の人の話を聞いているかのように、きっと感じたであろうことを想像することはできても、実際に自分のものとして感じることはできないでいた。感情や感覚はある一つのことを除いて、この時まで思い出せていなかった。

●発表●

書くための時間が終了して、それぞれが書いたものを順番に発表していく時間になった。他の参加者さんたちが、どこに触れて、どうしてそこに触れたのかや、どんな風にそこから記憶が出てきたか、またその記憶が形になった文章を聞くのはとても興味深く、感動的だった。

ある参加者さんは、触りやすいからという理由でヒジを触ったそう。何気なく選んだヒジ。自分の手が触れているヒジの感覚を感じていると、二つの記憶が出てきたという。まさにヒジの感覚に刻まれた記憶といったものだった。そんな風に身体の感覚から記憶を呼び起こせることに、ただただ感心した。

そしてワタシの順番になった。

つづく・・・

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