トラウマの癒し:身体に封印されていたもの (11)
トラウマの癒し:身体に封印されていたもの⑩の続きです。
癒しのデトックス第二波は身体の痛みを感じることから始まります。そして自分の中に潜んでいた「大きな蜘蛛」を目の当たりにします。(●大きな蜘蛛の正体●の最初の段落に残酷な描写があります。苦手な方は飛ばしてください。)
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●身体の痛み●
朝起きても身体の痛みは相変わらずあった。背中がとても痛かった。特に心臓の裏の辺りの背骨に、石でも詰まっているかのような違和感があった。癒しの大デトックス初日に、ほぼ1日涙を流していた時にもあった違和感。涙の放出が、背骨を下から上がって来てそこで堰き止められてしまうような感覚だ。その詰まったような箇所から上、頭にかけて熱いような痛みがあった。そして腰も痛かった。喉もひどく痛かった。
微熱もあったけれど、風邪のそれとは違うのが身体の感覚で分かった。あれだけ泣いたから全部デトックスされたかと思ったけれど、涙の下に閉じ込められていたものが出て来るのかも知れないーーそんな予感がした。
静かにじっと痛みを感じていたら、熱さが増してきた。そして、なんともおぞましい光景が浮かんできた。ワタシの中に潜んでいた「大きな蜘蛛」が姿を現したのだ。
●大きな蜘蛛の正体●
あの頃のワタシが、あの公園で犯人である男性の上に馬乗りになっている。大きな石を両手で持って、その人の頭を何度も何度も叩いている。血がたくさん流れているというのに。
そんな光景にワタシは、驚愕の最上級クラスで驚いた。驚き以外の感覚はなかった。そんなことをするほどの激情を、今のワタシは感じることができない。それほど怒っている自分を・・・ワタシは知らなかった。
以前、ホメオパシーの勉強中だった親友の一人が、首や肩の痛みは怒りだと教えてくれたことがあった。当時のワタシは「ワタシは怒ってないから、ワタシの痛みはそれとは違う」と認めることができなかった。怒りを抱えているなんて感覚はなく、自分が怒っているとは思えなかったから。それに何よりも、自分が怒っているだなんて思いたくもなければ、思われたくもなかった。怒るのはよくない、怒ってる人ではなく優しくていい人でいたい、そんな気持ちが大いにあった。怒りの感情を否定して、怒っている自分を許せずに隠しておきたかったのだろう。以前のワタシは時々、ちょっとしたことがきっかけとなって怒りが爆発することがあった。必要以上に怒りの感情が高まって、キレることがあったのだ。でも当時は、それは当然のことで誰にでもあることだと思っていた。
キレるほどの強いエネルギーを持つ怒りは、確かにワタシの中にあった。ワタシはそれを目の当たりにした。ようやく怒っている自分を認識できたのだ。
●心と身体のつながり●
驚きの光景を眺めていると、叫んで外に出したいという気持ちが生まれ、感じられない感情も身体を動かしたら表現できそうに思えた。
身体が痛い。
身体が熱い。
それは変わらなかった。心と身体はつながっている。上手く出せなくて身体に閉じ込められていたものが、身体から出て行こうとしているのだろう。どういう具合で、それが痛みとして感じられるのかは分からない。ただ、体内を巡っている毒素を早く外に流し出すためにも、水をいっぱい飲むことにして、それから全身を念入りにストレッチした。リンパ節のマッサージもした。心のデトックスには身体のデトックスが不可欠のようだ。
ストレッチを終えると、身体の感覚に任せて身体を自由に動かしたい、という欲求が次第に強くなっていった。
感情を身体の動きで表現するというワークショップがあるのを知った時「これだ!」と思ったのは、感情が外に出たがっているのをどこかで感じ取っていたのかも知れない。そのワークショップは、残念ながらキャンセルになってしまったのだけれど。その後に出会ったのが、今回の癒しのデトックスのきっかけとなった、Unlocking stories from the body(身体から物語を解き放つ)というワークショップだったというわけだ。このワークショップのインストラクターはパフォーマンス・アーティストでもあった。それがワタシをパフォーマンス・アーティストのように身体を使って表現してみようという気持ちにさせた。
要領はよく分からないけれど、パフォーマンス・アーティストになってみた。もっと柔軟性があったら良かったのだけど、とにかく身体に任せて自由に動いてみた。表情も声も、必然的に身体から出て来るものに呼応した。言葉にならない声が出た。身体の奥底からグワーっと噴き上がって来るものがワタシの身体を登ってきて、ハートから喉に達する頃には泣くという行動になり、涙という形になってドバーッと外に出て行った。それが何であったのか、どんな感情であったのかは分からなかったし、今も分からない。
つづく・・