原因なんて人が決めた妥協点でしかない
今日は、「原因の追究」について。
ある光景を、まず記載します。
女の子が走っていて、その後を親が追いかける。
親が「走っちゃダメ~。転ぶよ~。」
みたいに声を掛けている。
すると、その先で、女の子が転んで。泣く。
親が駆け寄って。
「だから、走っちゃダメって言ったでしょ。」
という。
まあ、普通の光景。
ですよね。
それ以外の光景でも。
女の子が走って、転ぶ。
駆け寄る親が、「走ったから転んだんだよ。」
と声を掛ける。
ごく普通の光景。
でもですよ。
ちょっと、深掘りしちゃいます。
そもそもの、その理由・・・。
どうでしょうか?
という事です。
転んだ原因は、走ったから?
いやいや、少しさかのぼれば、
その場所に連れてきたからになる。
もっとさかのぼれば、
朝起きたから。
更にさかのぼったら、
その子を産んだから。
親が結婚したから。
人間が生まれたから。
地球が出来たから。
・・・。
と永遠に続くわけです。
ここで言いたいのは、
人が勝手に原因としているものは、
人が勝手にこの辺りかな、と
勝手に、考えているものです。
原因なんて、突き詰めて考えれば、
全て、人が生まれたことに辿り着くのですから。
今起こった事の、原因は?
と考えると。
原因を排除する。
という考え方になる。
極端な言い方をすれば、
原因を突き詰めていけば、
あなたが生まれたから。
という所に辿り着く訳です。
先程の例でいうと、
「女の子の心情」
女の子が走る。
↓
女の子が転ぶ。
↓
親が原因を考える。
「走ったからだよ」と言う。
↓
走ったから転んだんだと思う。
↓
走らないようにしようと思う。
この原因の追究。原因の究明。
には、少し怖いものが隠されていて。
原因を追究すると、その原因を今後はしないようにする。
という方向に向かいがちだという事。
女の子は、怪我をさせたくないという親の気持ちと、
怪我をしたくないという自分の気持ちから、
走らない。という教訓を得る訳です。
この原因追究。
二つの悪い点があって。
一つ目は、
原因を排除する。原因となるものを避けるという事。
女の子が、走らないようにしようと思ったように、
親が勝手に決めた、原因を、今後避けようと思うという事。
親の先入観で、勝手に決めた原因を、子供が避けてしまうという事。
親の先入観が子供に受け継がれるという事。
二つ目は、
原因を追究し続けていけば、
自分が生まれたことに行きつくという事。
原因なんて、追究し続けていけば、自分が生まれたことに行きつくのですから。
原因を排除しようという考え方は、
実は、自分を排除しようという考えに行きつくという事。
というように、原因の追究には、
上記2点の要素が含まれている。
表面上には表れていないけれど、潜んでいる。
ということ。
親が子に教えるべきなのは、原因の追究ではなくて。
起こった出来事との付き合い方。
転んでしまった。
→走らないようにしようね。
ではなくて。
転んでしまった。
→どのようにしたら、痛みを改善できるか。
怪我はどのようにしたら早く治るのか。
転ばないために何が出来るのか?
と言った視点。
病気の話になりますが。
対症療法と原因療法というものがあります。
対症療法は、その症状を直す。
頭が痛かったら、鎮痛剤を飲む。
おなかが痛かったら、薬を飲む。
そのような形で痛みを取る方法。
原因を解決するわけではないので、根本的な治療にはならないという事が言われています。
対して、原因療法。
原因に対してアプローチするので、根本的な治療になる。
この二つを比べると、
やはり原因療法の方が良いと思う。
だから、
転ぶに対する原因療法は、、、
走らない・・・。
になりがち。
でも、人生においては、
原因追及など、自分が勝手に決めた妥協点でしかありません。
この辺りが、原因かなと。
人間がこれまで生きてきた時間、経験を元にして、
これだろうと、勝手に決めているだけ。
国会を見ても、親子の会話を見ても、カップルの会話でも、
人は、物事の原因を知ると、安心できますから。
その安心のために、
これが原因じゃないか?
こうじゃない?
なんて話をします。
ただ、安心したいから。
でも、勝手に決めているだけ。
必要なのは、安心を手放す事。
今後の未来において、完全なる安心などない。
定まっていないもの、予想できないもの。
と受け入れる準備をすること。
思考は現実化しますから。
未来を受け入れる気持ち(*’▽’)
でいれば、
受け入れられる未来がやってくるし。
受け入れたくない未来を考える気持ち(゚Д゚;)
でいれば、
受け入れたくない未来がやってくる。
どちらの思考でいるかは、
自分で決めていいのかなって思います。
子供の未来の為に、親が出来ることは、
受け入れられない現実を遠ざける事ではなくて、
起こった現実をどのように受け入れるようにするか?
という事かなと思います。
子供と同じ目線に立って、子供と同じ方向を向く。
そしたら、子供と一緒に歩いて行ける。
そういう風に育った子供は、
きっと、誰かと同じ方向を向いて、
歩けるようになるのかなって。
皆が、同じ方向を向ける。
そういう世界はきっと楽しいだろうなって。
それは、親が子供に与えたものによって、
出来ているのかな?って思う訳です。
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