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【読書感想:超深掘り】「おいしいごはんが食べられますように」を味わう その6

こんにちは。しゅんたろうです。

このエントリは連載で、以下の本の感想を書いています。

2022年芥川賞受賞作品
「おいしいごはんが食べられますように」
(著:高瀬 隼子)

現代社会に渦巻く心の闇を、すごく上手に切り取った作品です。

読み終わったあと、心にモヤモヤが残るんですが、
それを丁寧に解いて言語化していくと、様々な気付きが得られました。

私がこの本を味わった感想を書き残します。(その6)

○プロローグ
 ①「作品内容のおさらい」と「私の気付き(目次)の列挙」

○登場人物の問題
 ②押尾(バリキャリ)
 ③芦川(献身的)
 ④二谷(うまくやる)

○現代社会の歪み
 ⑤正しいかではなく、弱いほうが勝つ世の中
 ⑥なんのために食べるのか ←【当エントリ】

※※※ 以下、ネタバレあり。 ※※※
(NGな人は、本を読んでから見てね。)

連載記事の後半は、物語全体から
「社会的背景の問題」について考察しています。

今回はこちらについて考察していきます。

⑥なんのために食べるのか

なんのために食べるのか

皆さんは「なんのために食べるのか」考えたことはありますか?

かくいう私も、昔は食事について無関心でした。

会社員時代、深夜残業が続く毎日で、
朝食は、冷凍チャーハン。
昼食は、コンビニ弁当。
夕食は、こってりラーメン。
という生活を続けて、よく嫁から心配されていました。
(今は全然違いますけどね!)

さて、この本では「食事」をテーマに三者の人間模様が描かれていますが、
「なんのために食べるのか」という点が、登場人物ごとに異なっています。

今回は、それについて考察していきたいと思います。

○二谷にとっての食事

二谷にとって食事とは「面倒くさいもの」です。

冒頭から「身体機能を維持できるスーパーフードがあれば、毎日それを食べるのに…」という表現が、それを物語っています。

現代の忙しいビジネスマンあるあるではないでしょうか。

これを丁寧に紐解いていくと、一言に「食事が嫌い」という訳ではないことが見えてきます。

面倒くさいのは「食事」ではなく「他人との形式的なコミュニケーション」

なぜ食事が面倒くさいのか。

二谷の場合、「食事に付随する『他人との形式的なコミュニケーション』が面倒くさい。」と言い換えられるのではないでしょうか。

上司との付き合いで赴くランチ。
努力を労うために作られたお菓子。
気が進まない職場の飲み会。
異動と交際を祝うためのケーキ。
振る舞われた食事を「美味しい」と言うことを強制される空気。

一方で、カップ麺や外食、気の合う押尾との個人的な飲みの場は、ストレスの発散先になっています。

つまり、「食事=全部面倒なもの」ではないんですね。

「生きるのための食事」と「それ以外」

二谷のエピソードから分かるように、
「食事」という言葉には「ただ単に食べること」以外に
多くの意味が付随しています。

それは時代の変遷とともに培われてきた「文化」です。

「家族で外食する」と言えば、
・子どもが喜ぶ。
・母は炊事の面倒から解放される。
・父は家族サービスをした実績としてカウントされる。
・「仲睦まじい家族」という印象のエピソードとなる。
・特に外に出る用事もないが、一度も外に出ずに一日を終わるのもなぁ…。
などなど、様々な意味が付随しています。

世間一般で考えられている、その「文化」まで「食事」とセットにして、自分に押し付けないでくれ!というのが、二谷の心の叫びなんだろうなーと感じました。

○押尾にとっての食事

バリキャリな押尾ですが、食事に対する価値観は、二谷と似ています。

食事に付随する、職場での形式的なコミュニケーションは面倒だと感じています。ただ、二谷ほど鬱屈した感情ではないです。

物語全体を通して、押尾と芦川は相容れない関係ですが、それは「自分の弱さを盾に、他人に仕事を押し付けていること」に対してです。

それを埋める償いとして、凝ったお菓子を持ってくる芦川に対して、「気に入らない」という点で、二谷と一致したので共謀を企てたのです。

「忙しい」と「食事」

そのため、ここでは少し違った角度から、食事について考えたいと思います。

それは「バリキャリなビジネスマンにとって、美味しい食事とは?」という問いです。

繁忙期、毎日深夜残業のような経験をした人は分かると思いますが、「栄養の取れる食事」とか考えている『心の余裕』が存在しません。(少なくとも、自分はそうでした。)

「いかに効率よく手軽に空腹を満たせるか。」がポイントになってきます。

具体的には、コンビニおにぎり、カロリーメイト、ウィダーインゼリー、カップ麺、レンチン弁当など。

不調を改善するためには、栄養ドリンクやサプリメントを投入します。車に必要な燃料(=ガソリン)を投入するのと、同じ要領です。

「もっと栄養ある食事を」なんてアドバイスは、その人には届きません。だって、忙しいんですから。やりたくても、仕事に忙殺されていて、できないんです。食事の時間を30分削ってでも、その分、仕事を進めないと、仕事が終わらないんです。

「忙しい」環境にさらされる人たち

ちなみに、これは個人の能力の問題ではありません。職場という環境や、上司の理解の問題です。なぜなら、理解のない職場では、いかに優秀な人間でも、その分過多な仕事を振られてしまうからです。

少子高齢化による労働人口の減少、非正規雇用の増加による労働環境の悪化などの社会的背景が垣間見えますね。

だからといって、時間を無理に削って、なんとかこなせても、それが常態化してしまいます。速度を上げても、下げることができないランニングマシンのようなものです。

結局は「仕事より、お金より、自分が一番大切だ」と深く理解して、「不遇の扱いを受けたら、この職場を去ってやる」くらいの覚悟を持って断る。ということが大切だと私は考えています。

○芦川にとっての食事

芦川の食事に対する価値観は、二谷の対極にあります。

つまり、「食事」に付随する「文化」を大切にしたい人間です。

心身の健康のためには、栄養のある食事を取った方がいい。
店頭に並ぶ既成品より、手作りの食事の方がいい。
真心を込めて作った食事は、食べた人の心も温める。
食べた人がもっと喜んでくれるために、料理のスキルを磨こう。
食事の場は、一緒に食べている人とのコミュニケーションを楽しむ場でもある。
などなど…。

どれも素晴らしいことだし、間違っていません。
しかし、二谷や押尾のような人とは、相容れない考え方であることは、既に述べた通りです。

この価値観の違いを、物語全体を通して、絶妙に浮き彫りにさせてくれるあたり、本当に味わい深い作品だなぁ~と感じます✨

今日のまとめ

○「食事」には「文化」が付随している。
 →それを大切にしたい人もいれば、煩わしいと感じる人もいる。

○「食事」に求めるものは、人それぞれ。
 →「誰にとっても、おいしい食事」は存在しない。忙しい人は、食事に「効率」を求めるし、ストレス発散やご褒美に、食事を使うこともある。祝いや労い、他人とのコミュニケーションなどにも使われるが、他人への押し付けはやめよう。

シリーズ連載のさいごに

私がこの本に興味を持ったキッカケは、この番組を見たことでした。

それに対して、こんなツイートをしています。

実際に、本を読み終わって、
その後、noteで自分なりに作品を味わってみても、
その想いは変わらない。

むしろ、深くそう思えるようになりました。

読書は「何冊読んだか」ではなく、
「その本を私はどう味わったか」が大切だと考えています。

これだけ味わえる素敵な本との出逢いに感謝です😌🍀

ではまた!

しゅんたろう

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