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E判定からの奇跡|半年で偏差値20アップして現役合格した話
偏差値30台からの挑戦
2015年8月、通信制高校3年生だった僕
通信制高校の授業は基礎レベルで、僕の学力は中学3年生程度。
「教員になる」という漠然とした夢と、根拠のない現役合格の自信だけが支えでした。
当時の僕がどれほど学力がないかというと、
英語の仮定法表現で"If I were"というフレーズすら知らなかったのです。ちなみにこのとき初めて『ターゲット1900』を開きました。
大学受験を控えた僕は、大手の大学受験専門の個別指導塾の説明に行き、「偏差値60の大学を志望している」と伝えました。しかし、偏差値30台だった僕に対する彼らの反応は、当然冷ややかなものでした。「偏差値60を目指すなんて無理だろう」「何か勘違いしているのでは?」とでも言いたげなその表情に、僕はやる気を失い、結局その塾に入るのをやめました。
その後、気持ちを切り替えて、中学時代に通っていた地元の個別指導塾(やる気スイッチが入るあそこです。)に通うことにしました。そこで週4コマ(英語3コマ、日本史1コマ)といったスケジュールで通い、勉強に本気で取り組み始めました。
志望校が決まった瞬間、勉強が加速した
8月末、全国トップの教員採用試験合格率を誇る大学のオープンキャンパスに参加しました。キャンパスの雰囲気や学生の姿に感動し、「ここに行きたい」という強い意志が生まれました。それが、勉強への原動力となったのです。高校の英文法を9月中に終わらせ、自分で参考書を進めるようになりました。
しかし、最初の模試の結果は惨憺たるものでした。偏差値41、すべてE判定。日本史22/100点、国語77/200点、英語120/200点。「無理だ、もう終わりだ」と思いながらも、塾の先生に結果を見せると、「まだこれからだよ!」と励まされ、ギリギリの希望をつなぎました。
この当時に流行っていたのが「ビリギャル」です。
私も影響され、「自分もやればできるかも」と、さらに受験勉強に火がつきました。
(興味がある方はぜひ読んでみてください。モチベーションが上がります。)
偏差値30台だった僕にはあまりにも遠い目標でしたが、
ビリギャルの影響で『日本の歴史』を買い込み、日本史の勉強をスタートしました。
挫折と挑戦の繰り返し
心の中では、「無理だ。こんな点数から巻き返すなんて無理だ。」と思っていました。
10月、現実から逃げたくて、
「俺、勉強をやめて浪人する。来年国立に行く。だから受験勉強は一旦やめる。」と家族に宣言しました。
全然わからない勉強をすることがあれだけ辛かったのに、勉強も何もない生活が始まると虚しさを感じるんです。
そして、「浪人するにしても、今勉強をやめたらさらに差が開くだけだ」と気づき(最初に気づけ!)、もう一度机に向かいました。それでも、挫折は続きます。
必死に偏差値を上げるために効率的な方法を探した僕は一冊の本に巡り合います。
こちらの本です。(現在は改訂版がありますので、そちらを購入してくださいね。)
本当に失礼ですが、少し怪しいと正直思いました。しかし、「1,000円でどうにかできるのなら!」と極限まで追い込まれた僕は本屋で購入し、家に帰ってすぐ読みました。
そして、この本に従って、必要最低限の参考書を何度も繰り返すことにしたんです。
たとえば、
日本史の実況中継は5周
英語の文法問題集は7周
センター試験の過去問は10年分×2回
こうして、基礎を徹底的に身につけていきました。これがなければ間違いなく僕は合格していません。
そして、望んだ10月末の模試。
しかし、国語の問題を解いている途中でパニックになり、同じ箇所を何度も読み返してしまい、時間が足りずに終了。またしても偏差値40台。
ストレスで心も極限状態になっていた僕に最悪の事態が起きました。
読んでもいない参考書のページに線が引かれているのを見て、記憶が飛んでいることを自覚。「やっぱり無理だ」とまた投げ出し、二度目の浪人を宣言。
11月の模試は受けることすらできませんでした。現実逃避をするように、部屋を真っ暗にして1日中寝ていました。
本当に限界の状態でやっていたと思います。月1回の同級生との焼肉だけが唯一の楽しみでした。
友人と駅のホームで30分も話をしたり、カツ丼を2杯平らげたりしながら気持ちをつなぎました。そして、12月20日から大晦日まで、僕は1分も勉強できなくなりました。「もう無理だ」と投げ出しました。紅白歌合戦も見ました。「年明けから頑張る。」とだけ言って。
それでも、年明けから半月だけは死ぬ気で頑張ることができました。そのおかげでセンター試験では日本史、現代文、英語でついに8割を突破しました。
めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
少し自信を持てた僕ですが、一般入試の出願速報を見て再び絶望します。
5名の枠に130名出願。ちなみに模試は最後までE判定です。
「どう考えても無理だ」と思いながら、諦めムードで最後の一般入試に臨むことになります。
奇跡の合格 38℃の熱と共に迎えた一般入試
試験当日、僕は38℃の熱を出していました。朝食を食べ損ね、糖分補給用にチョコだけをかじりながら会場へ向かいました。本当に頭痛が酷く、頭もろくに回っていません。「帰ろうかな」と何度も考えましたが、「残された午後の日本史は暗記してきた知識で戦えるかもしれない」と思い、最後まで試験を受けました。
自己採点では思ったより良い結果。でも、模試の判定はE判定。受かるわけがないと思い、手応えは誰にも話しませんでした。
そして合格発表当日、2月5日午前10時。
リビングのソファに座りながら、ひっそりと結果を確認すると、iPhone5Sの画面には『おめでとうございます。合格です。』の文字が。
「うそだろ!」と思わず声を上げると、飛び起きた父親と抱き合い、ベランダで洗濯物を干していた母親が慌てて駆け戻ってきました。
半年間、月1回の焼肉しか行けなかった友人も喜びを爆発させました。
これを書いている今もあの時の風景が浮かんできます。
最終的には全体で128人中13人合格、倍率9.8倍という成績で合格を掴み取ることができたのです。
今、受験と、そして自分と戦っているあなたへ
僕が学んだことは、 挑戦し続ける限り、可能性はゼロにならない ということです。偏差値は、すべての基礎が網羅できた瞬間に一気に伸びます。「無理だ」と思っていた僕でもできたのだから、今悩んでいるあなたにも必ずできると信じています。
「自分には向いていない」「今からじゃ間に合わない」と諦めそうになる気持ちは、僕にも痛いほどわかります。でも、挑戦し続けた先には、想像もできない結果が待っているかもしれません。
勉強法をもっと詳しく知りたい人がいましたら、これから別の記事も書いていきます。僕は君の味方です。力になれることがあれば、いつでもサポートします。XにDMをください。一緒に未来を切り開きましょう。
挑戦を諦めない君へ。未来はきっと明るい。
最後まで読んでくれてありがとう。あなたの挑戦を心から応援しています!