尾崎豊さんの命日
今日、4月25日は尾崎豊さんの命日。
今年で没後30年。
いつかお墓参りに行きたいと思っているけれど、ほんの少し勇気が必要。なんだか尾崎豊さんに直接会うような気分になって少し躊躇う。
"僕はいつも自分の心に素直に生きれているだろうか、尾崎さんの音楽を聴いて僕は変われているだろうか、ちゃんと成長できているだろうか。"
そんな事ばかり考えてしまう。
尾崎さんの音楽に触れることは自分を見つめることと同じ。だから胸を張って、しっかり自分の言葉を話せるようにお墓参りにいつか行けたらいいな。
今日は彼の命日。彼のお墓に刻まれたこの言葉を伝えたい。
「生きること。
それは日々を告白してゆくことだろう。」
生前彼が残した言葉で、墓碑銘になっている。
"日々を告白してゆく"とはどういう事か?
僕が最初に捉えたこの言葉の意味はこう。
"自分はどういう存在なのかを自分の周りの世界や人々に日々表現していく、自分を伝えていくという事。"
毎日自分はどう生きたのかを誰かに告げる、自分自身の気持ちを明らかにする、、そんな風に最初は思っていた。
しかし、彼がライブ中のMCでこんな事を言っていたのをきっかけに、意味がさらに深まった。
人生は、毎日少しづつ自分の心の糧、心の財産を代償として支払って生きているようなものなんだ。毎日少しづつ、時にはいっぺんに。だから時間があると思う人は、今のうちにどんどん心の財産を貯めておくといいと思う。僕は音楽によって励まされ、、僕の歌が少しでも君たちの心の財産になってくれればそれでいいと思っている。みんなの全ての夢が叶うように、みんなが幸せであるように。心から祈っています。
心の財産とは、楽しい思い出や、何かを頑張った自分自身の心であったり、何かに救われた経験であったり。どこか胸にくる熱いものをそう呼んでいる気がする。
毎日それを支払いながら生きていると。
僕はこのMCから、「思い出だけでは生きていけない」という事を言っているんだと思った。
自分が経験したことや、自分を救ってくれたモノ達は、いつか日々を生きる上で支払われて消えてしまう。
だから、自分の心の糧を増やすという事は食べ物を食べることと同じなんだと思う。
食べることで身体を生かす。生きた身体で誰かの役に立つ。
それと同じように、自分の心、精神を生かす為に毎日財産を増やしていかなければならない。そして増えた財産を支払っていく。支払った先には人がいる。
心の財産を増やして、その財産を皆んなに分け与えていくのが人生だと彼は言いたかったんだと思う。
それを分かりやすく、「生きることは日々を告白してゆくこと」と残したのであろうと僕は納得した。
"生きることは、何かを与えてもらって、そして自分も何かを与えていく事なんだ。"
彼の命日に、僕はそんなメッセージを受け取れた気がする。