R (あの時、僕たちは人生のコーナーに居た) 第四章 恋慕
【登場人物】
光司(コウジ) :主人公
卓也(タクヤ) :光司の親友。高校時代の同級生
春樹(ハルキ) :光司の親友。高校時代の同級生
晃(アキラ) :光司の友達。走り屋仲間
比呂(ヒロ) :晃の年下の友達。走り屋仲間
裕美(ユミ) :光司の恋人
洵子(ジュンコ):卓也の恋人
第四章 恋慕
昭和61年1月 成人の祝日 午後7時
光司は裕美が働くファミリーレストランの駐車場に、車を滑り込ませた。
知り尽くした店内に入ると、6席あるカウンター席の一番隅に腰を下ろした。
何故か、光司はファミリーレストランのカウンター席が好きだった。隣席とのほど良い間隔、喫茶店よりも広い店内からくる開放感が、妙に落ち着かせてくれるからだ。柔らかなクッション材ではなく、少し固めのシートも好きだった。
そもそもファミリーレストランは、その名の通り一人でやってくるお客は少ない。ファミリーで来るお客にはテーブル席が優先して案内されるために、カウンター席がお客で埋まることは少なかった。
タバコに火をつけると、光司は遠目に気付いた店長さんに向かって、軽く会釈をした。バイト終わりの裕美を迎えに来たことは、この店で働く誰もが知っている。奥のテーブル席でお客の注文を聞いていた裕美が、こちらを振り向き小さく左手を振って微笑んだ。その笑顔をみて、光司は心が安らいだ。
しばらくして、店長がカウンターに座っている自分に近づき、何も言わずにコーヒーをサービスしてくれた。
「どうも」
「光司、元気そうやな」
ファミリーレストランの店長を勤める人の多くは、他の業界からの転職組みである。だからといっても、この店長の以前の職業に興味を持ったことはない。
成人式を迎えたからといって、まだまだ学生の俺にとっては、将来の仕事に希望や目標があるわけではない。それよりも、社会に出て仕事をすること自体に、まだまだ実感が湧いてこない。アルバイトをする理由も、車と裕美とのデート代を稼ぐためである。
「今日は成人式だったんやろ」
「ま、そんなところです」
アルバイトの「いらっしゃいませ」と叫ぶ声が聞こえる。祭日だけあって、さすがに今夜はお客の入りが多そうであった。
カウンター席を除けば、ボックス席は満席に近づいている。裕美もそろそろアルバイトの終わる時間ではあったが、まだ忙しそうに駆けずり回っていた。
「もう時間が過ぎているな」
「あ、待ってますから別にいいですよ」
まるで、裕美の亭主のようなコメントになってしまった。
本当のところは「早く終わらないか」と、心を揉んではいたが、多少の社交辞令も言えるようになったということだろう。すると、店長は「悪いな」と言葉を残して、お客の所へと戻っていった。
この店長は、まだアルバイト生のことを解ってくれている部類なのだろう。ファミリーレストランはアルバイトが主役である。ひとつの店舗で、社員はせいぜい二~三人といったところだろう。だから、アルバイトにそっぽでも向かれたら、店長としては失格となる。ただ、「自分の子どもと同じ年齢のガキと、毎日接するのも疲れるだろうな」とも思った。
そういえば、この店長には仕事終わりに、何度かラーメンをご馳走になった。めしをご馳走になったからといって、信用を寄せられる大人とは限らない。ただ、もしも嫌な大人なら、ラーメンに釣られて付いて行くこともなかっただろう。
すでに、アルバイトを辞めた俺に、黙ってコーヒーをサービスしてくれる。やはり、いい大人なのだろうか。それよりも、いい大人と悪い大人との線引きはどこにあるのだろうか。
カウンターで一人、コーヒーを啜っていると、近くのボックス席に座っていた高校生のグループが目に留まった。高校生たちはコソコソと何かをしている。どこかで見たことのある顔ぶれだったが、名前までは思い出せない。
光司は彼らの仕草を見て、直ぐにピンときた。テーブルの上にセットしてある、塩と砂糖のカップのフタを開けて、混ぜ合わせているのである。お店の人に見つからないように、いたずらをしている彼らの顔は、いかにも楽しそうであった。くだらない悪戯でも、彼らにとってはスリルと興奮を味わえる、楽しいゲームに違いなかった。
一般に、ファミリーレストランでは、テーブルの上に調味料関係を常置している。だから、これらを使ったいたずらは、日常茶飯事でもある。ちなみに、ビンごと持って帰る客も後を絶たなかった。
光司がアルバイトをしていた時にも、その程度の悪戯をするガキを、何度と見つけたことがある。ただ、その時も、睨みつけるだけで、彼らを咎めることはしなかった。所詮、子供の悪戯であり、誰もが通る道だと思っているからだ。
それよりも、次にそのテーブルに座ったどこかのくだらない大人が、ガキのいたずらにまんまと引っ掛った後の方が始末が悪い。
塩の混じった砂糖をコーヒーに入れたあと、顔を真っ赤にして店長に、意味の解らないごたく並べて説教を垂れる。
その姿を何度も目にした俺は、いたずらをするガキよりも、客という立場を利用して、居丈高に怒り狂う大人の方がくだらなく思えてしまう。そして「そのいたずらをしたのは、お前の子どもかもしれないぞ」と、いつも耳元で囁いて見たくなるのだった。
「おまたせ光司」
くだらないことに頭を巡らせていると、裕美の声が聞こえた。
店内の壁に掛かる時計を見ると、針は午後7時30分を差している。時間はあっという間に過ぎ去っていた。客の入りが多くて、なかなかアルバイトを終えるタイミングが掴めなかったのだろう。
ただ、裕美の顔に疲れた様子は伺えない。
白のセーターに薄いベージュのロングスカートに着替えた裕美が、手にコートを持ったまま俺の横に腰を掛けた。バイクや車のことなら何でもわかるが、ファッションのことになると、まったく疎かった。恐らく、どこかの有名ブランドのセーターなのだろう。ただ、ひとつ言えることは、今日の裕美もかわいいことだった。
「ああ。お疲れ」
30分以上も待たされたことで、わざとすねた様な口調になる。「白のセーターが似合っている」と、野暮なことを口に出すことは出来ない。洋画で映し出されるカップルのように、素直な愛情表現ができればといつも思う。
「光司、これからどこに行く」
「取り敢えず、出ようか」
「そうね」
「ごはんを食べに行こう」
光司は裕美の肘を持ち上げるようにして立ち上がる。
「店長、ごちそうさま」
店長にお礼を言うと、軽く手を挙げて答えてくれた。店を出ると、冷たい空気がを光司と裕美を襲ってきた。慌てて、裕美の手を引っ張ると、駐車場の中を走った。
「どうだったの成人式」
車の助手席に落ち着くなり、裕美が聞いてきた。
光司は答える前に、キーをまわしてエンジンを呼び戻す。すると、「シビックSi」が、いつも通りの心地よいエンジン音を響かせた。
「光司、どうだったの成人式」もう一度、裕美が聞き直してくる。
「別に・・・・・・」
「別にって」
「行かなかった」
駐車場の隅では、先ほどの高校生たちがたむろをしている。50ccバイクに跨っているもの、しゃがみこんでタバコをふかしているもの。みんな楽しそうである。
彼らを見ていると、卓也と初めてバイクを買ったときを思い出した。
あれは、高校一年の夏。光司も卓也も誕生日が8月だったことで、夏休み中に免許を取得できる年齢に達する。そこで、光司たちは夏休み中にバイクを手に入れるための作戦を練った。
まずは、バイクの購入資金が必要だ。そこで、夏休みに入るとすぐさま、光司たちは近所の配送会社で荷物の仕分けと積み込み作業に汗を流した。学校に行くときは中々ベッドからはい出せないが、朝早くに起きてはアルバイトに精を出した。生まれて初めての労働に、興奮と疲労が襲う毎日であった。ただ、光司たちは、明るい未来を感じずには入られなかった。仕事の合間には、卓也と二人でバイク雑誌を貪った。「どんなバイクを買うのか?」2人で語り合うことが、何よりも楽しかった。アルバイト先の先輩も、俺たちを見ては楽しそうにアドバイスをくれたのが嬉しかった。
そして、アルバイトと併行をして、免許を取得するための勉強にもはげんだ。「勉強」という二文字には、拒絶反応を起こしてしまう光司たちも、バイクという目的があったことで、苦手なテキストを広げては、卓也と二人で問題を出し合った。そして、目的さえあれば、俺たちでも勉強に取り組めることに気付いた。それが、馬の鼻にニンジンをぶら下げられいたとしても、人生で目的を持つことの大切さを俺たちは知った。こうして、とにかく俺たちは多忙でかつ充実をした、高校最初の夏休みを過ごした。
やがて、誕生日を迎えた光司と卓也は、真っ先にと運転免許センターへ駆け込んだ。大抵の高校では運転免許を取得することが、校則で禁じられていたため、俺たちは申請用紙の職業欄に「無職」と記入をした。嘘をついている後ろめたさはあった。申請書を提出する際には、心臓が破裂しそうなほどに緊張をしたが、簡単にはんこが押された。
受付の年嵩のいった女性は、光司たちの顔を見ようともしない。なぜか無視をされた気分に、逆に腹立たしさも覚えた。
免許証を手に入れた運転免許センターからの帰り、光司と卓也は運転免許証を見せ合い、いつまでも笑いが止まらなかった。そして、真っ赤な西日を浴びながら家路へとついた。
やがて夏の終わりが告げられる頃、俺たちはバイクを購入するためのお金と運転免許証を携えて、バイク屋に駆け込んだ。
そして、しばらくしてから、軽トラックに乗せられたバイクが家に届けられた。自分の力で手にしたバイクに、初めて跨った時の感触と興奮を、今でもしっかりと覚えている。
こうして、夏の終わりとともに、光司と卓也のバイク人生がスタートをした。
最初は街乗りを楽しんでいたが、すぐに「走り屋」の存在を知った。その魅力に見せられ、峠デビューを果たすまでに多くの時間は要さなかった。
そして、世界で活躍するバイクレーサーの映像を、ブラウン管の中で見た光司たちは、そこに自分のシルエットを重ね合わせてみた。そして、自分の明るい未来と可能性に、みなぎる力が湧いてくるのを感じずに入られなくなった。バイクを手に入れたことで、光司たちの夢は、ものすごい勢いで大きく広がっていった。
2学期のある日、光司と卓也は夢を達成するために、ひとつの計画を立てた。まずは、二人で50ccクラスのミニバイクレースに挑戦をする。そこで力をつけて、大きいレーシングチームへとステップアップを図っていく。そしていつの日か、ブラウン管の中で繰り広げられていた世界の舞台へと、階段を駆け上がっていく計画であった。
16歳の秋、俺たちは初めて50ccクラスのバイクレースに挑んだ。レースの当日、朝早くからサーキット場に乗り込むと、自分達が乗って来たバイクをレース仕様へと作りかえていく。
通常、レース用のバイクは、車に乗せて運んでくる。しかし、16歳の俺たちにはそれが出来ない。レースで使用するバイクをサーキットまで乗ってくるしかない。そして、レース開始までに、バイクを公道仕様からレース仕様へと改造を施す。
ただ、手を加えるといっても、16歳の俺たちが出来ることなど限られてはいた。それでも光司と卓也は協力をしあい知恵を絞りあった。
そして、レースが終われば、またレース仕様のバイクを、公道仕様へと戻してから、帰路に着く。他のレーサーたちが早々に去ったサーキットで、光司と卓也は暗くなるまで作業をした。手の指先は油で真っ黒になる。食べ残しの菓子パンをかじりながら、コーラを上手そうに飲んだ。HONDAのイニシャルが入ったTシャツは、袖がよれて黒い油が至るところに染み付いていた。それでも光司と卓也は、誰もいなくなった淋しいサーキット場で、笑いながら作業を続けていた。身体は疲労困ぱいをしていたが、油の匂いと仲間と夕日が、二人に最高の充実感を与えてくれた。そして、家に帰り着くと、ベッドに倒れ込むように眠りに落ちた。
こうして、蒸し暑い長い夏の夜も、寒さでスロットルを握る手が凍りつく冬の夜も、光司と卓也は走り続けた。
目の前で楽しそうに話している高校生のガキたちを見ると、なぜかうらやましく思える。ほんの数年前のことなのに、遠い昔のように感じるのがとても不思議だった。きっと、彼らなりに充実した日々を送っているのだろう。
「ちょっと光司、聞いているの」
裕美の声に、慌てて光司は助手席を振り向いた。
「成人式に行ってないって、どういうことよ」
「どういうことって、そう言われても」
「いつも光司はそうなんだから」
「いつもって」
「光司はいつもいつも、大切なことには参加しないでしょう」
「そうかな」
光司はハンドルに両手を乗せた姿勢で、うつむいたまま聞いている。裕美の話す「大切なこと」が、ピンとこなかった。
「光司、高校の卒業式にも出なかったんでしょう」
「ああ、そうだった。ちなみに、中学の卒業式も出てない」
「本当に卒業したの」
裕美のあきれきった顔を、横目で見て少し笑った。
「これでも、俺は大学生やで」
「でも、アルバイトばかりで、学校には殆ど行っていないでしょ」
「社会勉強をしていると、言ってもらいたいなあ」
あきれ顔をしている裕美だが、暫くすると自分の顔を覗き込んで微笑んだ。その裕美の仕草が、とてもかわいい。怒っているようでも、裕美は怒ってはいない。おそらく裕美はこれまで、自分に対して真剣に怒ったことはないだろう。
先ほどの高校生たちが、駐車場の片隅でまだ楽しそうに話をしている。そんな、彼らに別れを告げるべく、ハンドルを切って駐車スペースから車を出す。そのとき、車のライトが彼らの顔を横切った。だが、話に夢中な彼らのなかに、それに気付いた者はいなかった。
裕美を横に乗せた車は、快調に町を流していく。
夜の帳が下りた街では、ネオンサインがきらびやかに輝き始めている。そして、街灯のオレンジのランプが、車の窓の外を次から次へと流れていく。
交差点を通り過ぎるたびに、信号機の青いランプがフロントガラスに映りこんでは、後ろへと消えていく。その一瞬、裕美の顔がフロントガラスに現れる。それを、目の端で捉えては幸せを感じた。
光司にとって、裕美は何の不満もない女性であった。ただ、こうして裕美を助手席に乗せて、街の中を走らせているだけで幸せを感じることが出来る。そう、最近は、裕美を思う気持ちが強まっていることに、光司はうっすらと気付き出していた。
そして、裕美を助手席に乗せて走っている時には、コーナーを攻める荒々しい運転など微塵も出さない。光司は出来るだけ、左側の走行車線を心掛けて走る。たとえ、右車線から荒々しく追い越す車が現れたとしても、気に留めることもしなかった。走り屋の中には、光司の車を見て擦り寄ってくるものも多かったが、裕美を乗せてる時は、絶対に意に介さないでいた。
ただ、それは無理をしているものでも決して無かった。また、自分自身のけじめとして、意識をしていることでもなかった。ただ、「自然のまま」と考える方が正しかった。
光司はカセットを入れると、二人のお気に入り「ワム」の「ウェイク・ミー・アップ」を流した。こうして、少しだけ大人の気分に浸りながら、裕美とのドライブを楽しんでいる。
「光司、また今夜も走りに行くの?」
「ああ」
裕美の少し淋しそうな顔が過ぎる。
光司は裕美に対して、ひとつのラインを引いてきたことがある。
それは、「峠を走る姿を裕美には見せない」と決めていること。それに対して、裕美自身も「連れて行って欲しい」と、口にすることはこれまでなかった。そして、何時の間にかそれは、二人の間で暗黙の了解として守られてきていた。
毎夜、繰り広げられる「走り屋」のステージを見るために、ギャ
ラリーの女の子も少なくはない。実際に、卓也は洵子を何度か連れ
てきている。だが俺は、裕美を一度も連れては来ていない。したが
って、裕美は「走り屋」としての姿を知らない。
恐らく、くだらない大人がたれ流すニュースで知っている程度だろう。そして、テレビ画面にさらけ出される映像を当てはめているのだろうと想像する。
もしも、好きな男性が「走り屋」だったら。大抵の女性は「危ないことは辞めて欲しい」と願うであろう。ただ、裕美はそれを口にしたことはない。恐らく、二人の間に引かれた暗黙のラインを、頑なに守り続けているのかも知れない。
「裕美。実は今夜で、俺は卒業しようと思っている」
「卒業って、何を?」
裕美の問い掛けに、何故かすぐに答えなかった。
どうしても、裕美には誤解をしてもらいたくな。だから、慎重に
言葉を選びたいと思ったからだ。沈黙が流れる中で、言葉を探したが、やはり良い言葉が見つからない。
「ねえ、何を卒業するの?」
「走るのを辞める」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「もう走りに行くのを辞めるの?」
裕美が確認をするかのように聞き直してくる。
「ああ」
「辞めてどうするの」
「それはまだ解らない」
「・・・・・・」
「別に、何か変わることもないだろう」
「卓也君には話したの」
「ああ、昼に話した」
「それで」
「別に」
「卓也君は何って言っていたん」
「別に」
「別にって」
「いや、怒っていた。裏切り者って言われた」
「それでもええの?」
「これからは、裕美だけを乗せて走ろうかと思って」
光司は口に出してから後悔をしたが、すでに裕美は運転する俺に抱
きついてきた。その反動で、車が大きく蛇行をする。
「あぶないなあ」
思わずは口から出た言葉も、裕美には届いていない。
光司は車をたて直してから、左手で裕美の頭を軽く叩いた。そのあとすぐに裕美の頭を撫でる。
「本当にあぶなかったぞ」
もう一度、優しく叱り付けるように話す。
すると裕美は、再び両手を光司の首に回すように抱きついてくる。
光司は慌てて、その場でブレーキを踏んだ。すぐに、ルームミラーから後方の様子をうかがう。運よく後方には車が走っておらず、追突は免れた。
光司は安全を確認したのち、たまらず路肩に車を寄せて停めた。裕美はかまわず光司の頬にキスをしていた。
4秒5秒・・・・・・10秒、頬にキスをしたまま離れようとしない。二人にとって、長い時間が流れる。そして、離れ際に「スキ」と、耳下で囁くと、裕美は助手席へと戻った。
呆気にとられている光司をよそに、裕美が助手席で座りなおすと、少しまくれ上がったセーターを戻している。
「ああ、お腹すいた」
「なんだよ、それは」
「早く、ご飯食べに行こう」
「・・・・・・」
「早く」
「解ったよ」
光司は車をスタートさせた。
裕美の柔らかな唇のぬくもりが、自分の頬にまだ残っている。そして、移り行く街のネオンが、二人をまるで祝福しているかのように、美しく輝いている。光司はそのネオンに目を瞬かせながら、身体いっぱいに幸せを感じていた。光司はこの二人だけの小さな箱の中で、いつまでも裕美と一緒にいたいと思った。
二人が付き合い始めて一年目の夏、18歳になった光司は車の免許を取得した。裕美とデートをするには、バイクよりも車の方が楽しそうだったからだ。
それから、光司と裕美はバイクに跨り、中古車センターを何件も巡った。そして、光司と裕美はホンダの「シティ・ターボ」を購入した。
幾分、外装にキズは目立ったが、価格を優先させた。全長が短く車重の軽い車体でありながら、インタークーラー・ターボから吐き出される出力は爆発的なパワーがある。試乗をさせてもらった時に、エンジンの気持ちよい回転が決め手となった。裕美も丸目の独特のボディ形状が「かわいい」と気に入った。
こうして、光司と裕美は、初めて二人だけの小さな空間を得た。
バイクから車に変わったことで、天候を気にすることもなく、バイクでは行けなかった遠方へも行けるようになった。
二人だけの空間、それは紛れもなく二人の関係を深くすることにもなった。その年のクリスマスに近い夜、光司と裕美は初めてSEXをした。派手なネオンが眩しいラブホテルの一室で、二人が一つになるのには朝までかかった。ただ、お互いに心地良い疲労感のまま、朝が来ても抱き合っていた。裕美が涙を見せていたのか、それは解らなかったが、ベッドの中で光司の腕にしがみついたまま離れようとはしなかった裕美のぬくもりを、一生忘れないだろう。
「どうしたの光司」
「いや、ちょっと昔のことを思い出していた」
「昔のことって」
「裕美、前に乗っていた車を覚えているか」
「もちろん、覚えているよ。あれカワイかったもの」
「車って不思議だよな」
「どうして」
「これだけたくさんの車が走っている。そのすべてに、自分たちだけの空間が存在しているんやろう」
「ちっちゃな部屋だよね」
「前を走る車にも、横を走る車にもだ」
「みんな幸せだったらいいなあ」
「ああ」
「絶対に」
「でも、同じ俺が同じ車を運転していても、裕美を乗せている時と、卓也たちと走っている時では違っている」
「どっちが楽しい」
「俺にとって見れば、どちらも幸せなんだ」
「私は光司が幸せだったらそれでいいよ」
「ああ」
「でも、やっぱり不安なのは怖い」
裕美が初めて、「走り屋」の自分に対して本心を明かした。光司は、胸の奥が締め付けられた。明日からは、どんな自分が待っているのか解らない。だけども、裕美だけは幸せにしたいと心の中で誓った。
フロントガラスの隙間には、一枚の写真が差し込まれいた。
走り屋の車には不似合いな写真。運転の邪魔にはならないように、助手席の隅っこに、申し訳なさそうに差し込まれている。それは、昨年の夏、海水浴に行った時の思い出。浅黒く焼けた自分の後ろに、ビキニ姿をはずかしがる裕美が顔だけ出している。裕美が「これだけは置かせて」と、せがんだものだった。
「この写真、色が褪せて来たね」
裕美が写真を引き抜いて手にとっている。半年を過ぎたことで、太陽に照らし続けられた写真は、ひどく黄ばんでしまっている。それでも、二人の思い出は新鮮なままであった。
「他の写真に変えるか」
「今年の夏まではこのままでいい」
「ちょっと、その写真を触りすぎだろう」 きっと、写真には裕美の指紋で溢れている。
「この写真は、私がここをキープしている証拠だから」
裕美はそう話しながら、助手席の前のダッシュボードを軽く叩いた。
「なんだよそれは」
「それだけの意味よ」
「洒落になんないな」
裕美が嬉しそうに笑っている。
ただ、光司も写真を見るたびに、胸の奥に湧き出てくるものがあった。
しばらく車を流したあと、何度か来たことのあるステーキハウスで夕食を摂ることにした。裕美が「今日は記念日だから」と、ステーキをリクエストしたからだ。小柄な裕美は、意外と大食漢である。二人で食事を摂るとき、裕美はよく甘える。光司もそれが嬉しくて、出来るだけ裕美のリクエストに応えるようにしている。
そこで、今夜はこのステーキハウスで光司の成人式を祝うことにした。ただし、成人式に出席をしていない光司にとっては、特別な日には感じられなかったが、素直に裕美の好意に従うことにした。
店内はファミリーレストランよりは、少し高級感が漂った装飾が施されている。そして、注文を聞きにきたウェートレスのユニフォームが、とても可愛い。裕美もきっと、いまのアルバイト先よりも、この店のユニフォームを選びたいだろうと思った。おそらく、出会った頃の裕美よりも、いまの裕美ならばきっと似合うだろう。
「ねえ、光司の夢って何」
突然の質問に光司は戸惑った。
裕美はサラダをおいしそうに食べながら、難題を持ちかけた。
「夢か、そうだな。昔はバイクレーサーになることだったけどもなあ」
「今の夢は」
「急に聞かれると難しいよな」
「雑誌のオリーブに、夢の持たない男とは付き合ったらだめって、書いてあった」
「おいおい、プレッシャーをかけるなよ」
「じゃあ、夢を教えてよ」
「やっぱり大人になると夢を無くしてしまうのかなあ」
「そんなことはないでしょう」
自分の「夢」について、頭の中を巡らせても、答えが導き出せない。夢を成し遂げることを求めているのではなく、ただ夢を持つことだけを求めているのに、何も答えることができなかった。
「自分はいつから夢を持たなくなったのだろう」と考えると、少し淋しさが襲ってきた。いくら考えても、思い浮かばない。「もしかすると、二度と夢を見ることが出来ないのでは」と、錯覚さえしそうになる。
光司はそれ以上答えることが出来ず、黙ってステーキを飲み込む。そんな光司を見て、裕美は少し淋しそうな表情を見せていた。
ある時、「大人になることは夢を捨てること」と、テレビの中で誰かが話していたのを思い出す。光司は目の前のステーキが、ほんの少し不味く感じられた。そして、心の中の焦りを向き合って座る裕美に悟られぬよう、そっと心の中で汗を拭った。
その後は、お互い他愛もない話を続けた。
学校のことや音楽のことなど、車の話は避けた。裕美は食後に頼んでいたホットチョコを、美味しそうに飲んでいる。光司も合わせるかのように、ホットコーヒを啜った。
食事を終えた光司と裕美は、しばらく車で街を流してから、裕美を家まで送くることにした。ダッシュボードに備え付けられている時計が、夜の9時を大きく回っていた。街は喧騒から静寂へと様相が変わりつつあった。夜の帳りが深まるなかで、対向車線を走る車のヘッドライトだけが眩しく光っている。街を往来する車の数も減り、街が少しずつ眠りについていく。
この瞬間、恋人と二人で過ごしている人は、いったいどれくらいいるのだろうか。今日、成人式を迎えた彼らは、いま頃どこで何をしているのだろうか。そして、成人式をどのような気持ちで迎えたのだろうか。光司は無性に知りたくなった。
そして、一緒に成人式を迎えた中で、「大人になること」の答えを持っている者がいるのならば、教えて欲しいと願った。
裕美は幸せそうに音楽に聞き入っている。ボリュームはいつもより高めである。その時、目の前の信号が青色から黄色に変わったのを見て、光司は慌ててブレーキを踏んだ。すると、急ブレーキで前に飛び出そうとする裕美の身体を、慌てて左手で抑えた。そして、驚いた裕美が自分の顔をのぞき込んだ。
「ごめん」 光司は裕美に謝った。
「ビックリした」
「驚かせたな」
「光司、どうかしたの」
「いや」
「いつもだったら、そのまま通り過ぎているのに」
「ああ、そうやったな」
裕美は急ブレーキに驚いていると言うよりも、黄色信号でブレ
―キを踏んだ自分の行動に驚いていた。
そういえば、信号が黄色に変わったことで、慌ててブレーキを踏むことなんて、これまではなかっただろう。正しい交通ルールなど知る由もないが、光司の中では「黄色信号は進め」がルールであった。
ふと、光司は目の前の交差点を渡っているサラリーマンに目がいった。疲れきった表情で下を向いて歩く、四十代と思しきサラリーマンの姿に、無性に切ない思いにかられた。
もしかしたら、成人の日の今日も仕事をしていたのだろうか。
確かに、休日でも仕事を強いられている大人はたくさんいる。ファミリーレストランなどのサービス業ならば、休日の方が仕事は忙しい。
光司は目の前のサラーリーマンに、自分の将来をダブらせることで不安に襲われた。そして、目の前の肩を落としたサラリーマンに向けて、「まだ、夜はこれからだぞ」と、無性に叫びたい衝動にかられた。
「大丈夫?」
「もちろん、大丈夫だよ」
「レストランを出てから少し変よ」
「そうか」
「私が光司の夢のことを聞いたから」
「あほか」
もしかすると、そのことが心のどこかで引っ掛かっているのかもしれない。今日は朝からずっと、腹の底におもりを抱えていた。成人の日、今日は長い長い一日である。
ただ、朝から腹の底に抱えていたおもりも、あと数時間もすると、全てが消え去ると確信をしている。もうすぐ、光司たちにとって、本当の夜が来るからだ。きっと、阪奈道路が全てを上手く流してくれると信じていたからだった。
やがて信号は青色に変わり、再び車が流れ出した。それから、裕美の家に到着するまで、「どのような会話を交わしたのか」余り覚えてはいなかった。
シートベルトをはずした裕美に俺が話しかけた。
「裕美、明日の夜は会えるか」
「学校が終わったら、別に何もないけど」
「・・・・・・」
「どうしたの」
「明日、一緒に阪奈道路から、生駒の山頂にまで行ってみないか」
「えっ・・・・・・」
「よく考えたら、阪奈道路から見える大阪の夜景を、一度も裕美と見たことが無いだろう」
裕美の目が、急スピードで潤み始めるのが解った。
「実は、俺もじっくりと大阪の夜景を見ていないからな」
「・・・・・」
「一緒に行ってくれるか」
「うん」
裕美が再び俺に抱きついてきて、唇に深いキスを交わした。
裕美の家の前ではあったが、長い長いキスとなった。裕美の熱い息が絡み合った。ほんの数十秒が永遠に続いているかのように、二人は離れようとしなかった。
やがて、二人の唇が放れたとき、お互い目を合わせるのが照れくさかった。そして、小さく手を振る裕美に、「明日」とだけ声を掛けた。
一方、洵子の家から走り去った卓也は、中々苛立ちを抑えることが出来ないでいた。
市街地に戻ってきた卓也は、一般車に次々と無理な追い越しを掛けて行く。まるで、ブレーキを踏むことを忘れたかのような走りを続ける。クラクションで警告をする車もあるが、お構い無しに卓也の車は暴走に近い走りを繰り返した。その時、卓也は自分の後ろを二台の車が着いて来ていることに気が付いた。
後方車がヘッドライトをハイビームに切り替える。「くそっ」思わず口から洩れる。背後からパッシングではなく、ハイビームで迫ってくるのは、明らかに喧嘩を売ってきていることを意味していた。暗くて車種までは解らないが、車高は故意に下げられている。どうやら、走り屋とは毛色の違う奴らだ。きっと、峠では足元にも及ばないが、市街地ならば勝負が出来るとでも思っているのだろう。
卓也は仕方なくギアを一段落とすと、アクセルを踏み直した。そして、もう一度「くそっ」と毒を吐き、散々たる一日に後悔をした。
一般車は動くシケインとなり、の進路を阻んでくる。それを、右→左→右と巧みに車線を変えながら追い抜いていく。すると、後方の車が放つハイビームのライトが、少しずつ遠ざかっていった。
一気に脱力感に襲われた卓也は、近づいて来たボーリング場の駐車場に車を滑り込ませた。駐車場の片隅に車を停めた卓也は、「成人を迎えた日なのに」と呟くと、再びハンドルにコブシを叩き付けた。
派手なボーリング場のネオンも、何故か虚しく見えてくる。そして、シートに縛り付けられた卓也は、これまでにない孤独感に苛まれた。
恐らく、10分ほどの時間が過ぎただろう。愛車のエンジンだけが、静かな鼓動を打ち続けていた。気持ちが落ち着いた卓也は、ふと光司のことが気になった。
「光司は今頃何をしているのだろう」と頭の中で問いかける。
きっと、裕美と会っているのだろう。それなのに、俺は何をしているのだろうか。卓也は無性に光司に会いたいと思った。そして、色々なことを聞きたいと思った。
卓也は再びギアを入れると、ボーリング場の駐車場を飛び出した。
そして、光司たちの待つ阪奈道路へ向かって走り出した。
同じ頃、晃は大阪の繁華街「ミナミ」に居た。
千日前通りにトヨタ「トレノ」を停めると、街を歩く女性に声を掛けていた。恐らく「類は類を呼ぶ」のことわざは正しい。路肩には、ナンパ目的の車が縦列に駐車をしている。健全な若者ならば、男性は女性を、女性ならば男性を求める。だから、晃は特別でもなく、最も正直に生きているといえる。
「彼女、ドライブに行かない」
晃は自慢のトレノを指差しながら、タイプの女性が目の前を通るたびに声を掛ける。
ナンパの仕方も様々である。車の横に佇んで声を掛ける者もいれば、車に乗ったまま声を掛けている者もいる。どちらにしても、2~3人で声を掛けて、グループを狙うのが一番効率が良い。但し、車は一台ずつ用意をしている。グループで声を掛けたとしても、女の子は一人ずつ分散させて乗車させるのが狙いだ。
晃の横には、昼間のリベンジとばかりに、比呂も寄り添っている。
晃と比呂のコンビは、二人組みに狙いを定めていた。
「彼女、夜景を見に行かない」
晃が声を掛けると、「彼女、家まで送っていこうか」と、比呂も負けじと声を掛ける。
最近のナンパは、ありきたりの言葉では、中々女性も振り向いてはくれない。ミナミを闊歩する女性の多くは、ナンパされることを目的としている。したがって、男性からナンパされることにも慣れていて、男性よりも厳しい品定めをする。したがって、センスのないナンパをしていても、女性を釣り上げることは皆無に近い。だからといって、軽すぎる口調は、逆に警戒を強めさせてしまうだけである。従って、ナンパにも車を操るのと同じく、テクニックが求められることになる。
晃と比呂も、これまで試行錯誤を繰り返した経験から、ナンパのテクニックも充分に習得をしていた。彼らの攻略法は、笑いをとることで、女性の興味を惹き付ける作戦であった。笑いから少しずつ距離を縮めていく手段こそ、二人が編み出したテクニックであった。
「彼女、今からサーフィンに行かない」
「いま、冬でしょう」
「それが、冬でも出来る所があるんやで」
「まじ、ほんとうに」
「まじまじ」
「それって、どこにあるの」
「ウォーターベッドの上で、ほらこんな風にするんや」
賑やかな繁華街の歩道で、晃が陽気にサーフィンのまねをする。若干、卑猥の腰振りをするのも、晃のテクニックといえる。
ナ ンパの極意は、女の子の足をまず止めさせること。そして、巧みな会話術を疲労して、女性の心を鷲づかみにすることにある。とにかく話が盛り上がれば、後は決め台詞で落とすだけではある。
「じゃ、サーフィンに行こうか」
「ねえ、どうする」
声を掛けた女性二人組みが、相談をし始める。その間、ポケットに手を突っ込んで、黙って佇んでいると魅力もあがる。しかし、晃の場合は、ついつい口を滑らして軽はずみな言葉が出てしまう。
「ほらほら、六甲山の上に、いいウォーターベッドがあるよ」
「さあ、早くしないと、波にさらわれちゃうよ」
晃の腰振りが更に激しくなる。
そして、お調子者の晃の口からは、さらにエスカレートした卑猥な言葉が飛び出してくる。そうなると、結果は悪い方へと転がってしまう。
「やっぱり辞めとくね。じゃあね」
あっという間に、女の子たちは小走りで去っていく。それを、唖然としながら「また、やらかしちまった」と反省をする。こんなことが何度、繰り返されただろうか。それでも、晃と比呂は生きがいのようにナンパを続ける。決して、二人とも女性にもてないタイプではない。ただ、彼女を作るよりも、ナンパをしていることの方が、新鮮で楽しいと思っている。
晃のような性格は、大人になればセールスマンかホストの職が成就への近道なのだろう。ただ今夜も、話は盛り上がるものの、なかなかドライブにまでは誘えないでいた。
晃は不作の予兆を吹き消すかのように、タバコに火をつけた。
ふと腕にはめた時計を確認した。時間は夜の9時になろうとしている。ここから、阪奈道路までは、ぶっ飛ばしても30分ほど掛かる。
晃は夕方、光司と出会った時のことを思い出していた。光司は「今夜で走るのを辞める」と言っていた。「果たして、光司は本気なのだろうか」と自問をしてみる。
「成人式にはどんな意味があるのだろうか」
晃は各地の成人式会場を回って、式に出席をしようとするたくさんの同級生を見た。それなのに、俺はスーツ姿で決めたものの、式に参加する意志などまったく持っていなかった。
「あの会場の中では、いったい何が話されていたというのだろうか」
晃は式に出席をしなかったことで、「同級生達から取り残されたのでは」と、急に不安に襲われた。そして、目の前のナンパが虚しく思えてきた。
「今夜はダメだな」
晃は口から漏らしたが、溢れる車の排気音に消されてしまい、隣に立つ比呂には聞こえなかった。
「光司たちは、そろそろ阪奈道路に集まって来ているのだろうか」
不意に、光司の顔が浮かんだ。そして「どうして走るのを辞めるのか」無性に光司に聞きたくなった。
そう思い始めると、居ても立っても居られなくなり、晃はトヨタ「トレノ」に乗り込んだ。唖然としている比呂に別れを告げると、アクセルを思いっきり踏みつけ阪奈道路へと向かった。
(第五章 友情に続く)
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