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人に期待するな、自分のほうこそ特別だ

人それぞれに正しさがあります。これを読んでくださっているあなた、あなたのまわりのひと、そして私にも。
「自分の正しさ」が「相手への期待」につながり、ときにしんどくなることは、みなさんも経験があるのではないでしょうか。そしてそれをどうしていいのかわからない状況に陥ることも少なくないと思います。
今日はちょっとその考えの視点を変えてみてはどうかということを書いていこうと思います。

正しさとは・・・

朝ごはんはパンがいいと思うひと
朝ごはんにパンなんて食べたらそもそも小麦が身体によくないと思うひと
朝はおなかがへらないからいらないと思うひと
朝は食べなければならないと思っているひと
朝ごはんなんてどっちでもいいわと思うひと

混雑した駅で
道を譲るひと
進路をふさごうとしてぶつかってこようとするひと
割り込むひと
強引に自分の道を進むひと

マスクをするべきと思っているひと
外ならいらないだろうと思っているひと
マスクよりも電車でお酒を飲みたいひと

人間だもの みつを
#すみません
#悪乗りしました

ちょっと思うだけでも、いろいろ違いがありますよね。みんな、自分の正しさで生きているわけです。

その「自分の正しさ」が「相手への期待」につながり、ときにしんどくなることは、みなさんも経験があるのではないでしょうか。
自分が正しいと思っていることが、相手にとっても同じことだという思い(期待)をもつ。そして、それが同じではなかったときに「相手が自分の期待に応えなかった」として相手をさげすんだり恨んだり怒りを感じたりするというわけです。
自分と相手の正しさは違うにも関わらず、です。

でもこれって勝手ですよね。だって人の正しさはそれぞれに違うから、相手からすれば、「勝手にそう思いなさんな」となるわけです。
#相手側から考えるとわかりやすいかも

だったら、最初からみんな違うのだから期待しなければいい、という論理になります。これは諦めとかではなく、違いがあるから自分の思うようになると期待しないほうがいいと考える、ということです。
#伝わりますか
#ASKA
#捕まるまではすきだったんですよね(二回目)

でも、「相手には期待しないこと」と言われたって「そんなのわかってるけど難しい」と思う人も多いかもしれません。私もその一人です。

最近MBさんのVoicyを聞いていて、感じたことがあります。
それは「自分のほうが特別である」と思ってみることです。
「自分が基本」だと「周りが特別」になってしまい、結局、今日ずっと書いている相手に期待してしまう状況になります。そしてそれを押さえろといっても、難しいわけです。
だからあえて「自分のほうが特別」と思ってしまえば、「あ、自分の方が特別か」と思って、他者に期待しにくくなりませんか?
#私は腑に落ちたんです
#自分が変だということではないですよ

このあいだ職場で、「そのことはさんざん話し合って決まっただろう」ということをまた理解していない人がいました。
「それはこうなりましたよね!」と私は考えてしまうタイプなのですが、でもまあよくよく考えると、「みんなが理解できていたわけではない」という事実なわけです。「みんな理解できていた」というのは私の期待。
#でもまあ正直な気持ちとしては
#その人は以前から思い込みが強くて修正が効かないタイプだなあと思っていたりする
#怒ってない
#怒ってはいないけど少し呆れている
#今日の話が台無しになる
だからといって「そんなことはもう話し合って周知の事実だろうがよ!」と怒るほどのことでもなく、期待せず「自分のほうが特別かも」と考えて、もう一回話し合ってわかりあえばいいだけのことです。もしかしたら、その人だけがわかっていなのではなく、他の人もわかっていない可能性だってあるかもしれない。そうなるとその人の思い込みの強さではなく、話し合い自体がうまくいってなかったということだって考えられるわけです。

「自分のほうこそ特別」
よかったら使ってみてください。

みなさんの一日がすてきな一日になりますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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