アインシュタインによって救われた天才科学者ボース
2月4日はボースという科学者の命日であることを知りました。
今回は、その貢献の割には埋もれがちな、インドが生んだ天才ボースの科学的な業績について触れてみたいと思います。
何よりも真っ先に思いつくのは、「ボース=アインシュタイン凝縮(以下BECと呼称)」という物理現象です。
あのアインシュタインと併記した呼び名がついているだけでも、私だったら鳥肌ものです☺
余談ですが、同じ併記名で有名なのは、量子もつれで必ず取り上げられる「EPRパラドックスス」です。過去の関連投稿を引用しておきます。
ややしょうもない話ですが、ボースの場合は、アインシュタインよりも前に名前が並んでいます。
おそらく、元々ボースが1924年にアインシュタインに送った論文がきっかけだからと思われます。
こちらによると、科学雑誌が取り上げてくれないのでアインシュタインに相談したようですが、当時無名の若手で当然本人とも面識はありません。
当時一般相対性理論を発表し、第一級の科学者になっていたアインシュタインには論文が届くことは珍しくないです。
例えば、史上初めてブラックホールを予言する解を導いたドイツの科学者シュバルツシルトは、戦争の最前線から手紙で送ってきた話は有名です。
そんななかアインシュタインは、ボースの英語論文を高く評価して、ドイツ語に訳して専門雑誌に掲載させることに尽力します。
さらにはアインシュタイン自身がその理論を拡張して一般化したので、併記の名前として定着したということです。
で、そのBECとはどういった現象なのでしょうか?
これは、とても分かりやすいアニメーションがあるので先に紹介します。
ざっくりいうと、温度を下げるとどこかで全粒子が急に最低エネルギーの状態に落ち込みあたかも1つの巨大な素粒子(凝集)の如くふるまう、という現象です。
先ほど「EPRパラドックス」を引用しましたが、これには量子力学が絡んできます。
元々この学問が起こったのは、プランクという科学者が黒体輻射を説明するために考案した「量子(とびとび)」という概念で、従来の物理学の概念から逸脱したものでした。
アインシュタインもこれを説明つけるために、「光量子仮説」を1905年に発表し、1921年にはその功績でノーベル物理学賞を受賞します。(意外ですが、あの有名な相対性理論ではないです)
そしてボースが論文を送った1924年に、ド・ブロイという科学者が物質波という理論を提唱し、アインシュタインはこれも高く評価します。
実はこれらはつながりがあり、結果だけいうと、BECが有効になるのは低温にすることでド・ブロイが唱えた物質波の波長が粒子間の距離に近くなったときです。
もっと乱暴にいうと、低温で量子効果が無視できず、あたかも波が集まって1つの波のような同一のふるまいをみせる、ということです。
人によってはレーザーを連想するかもしれません。1つの1つの光が揃った状態で、まさにその例えの通り応用が後世に続きます。
特に期待されているのが、「超流動」という現象で、今でも物性物理学で研究が盛んにおこなわれています。
またその応用については触れてみたいと思いますが、ボースはアインシュタインの洞察力で陽の目を見たといっても過言ではないです。
天才は知る者は天才、というところでしょうか。
ただ、アインシュタイン個人にとってはやや皮肉な結果となります。
BECはアインシュタインの死後に目で見える実験でも確認されました。
それはある意味、アインシュタインが生涯受け入れることを拒否した量子力学をマクロで見る事で証明したことを意味します。
そんな野暮なことは抜きにして、このBEC、そしてそのきっかけを生んだボースの偉大さを素直に称えたいと思います。
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