【書評】出口治明『復活への底力』--奇跡を起こす
出口さんとの思い出で一番印象深かったのが、ある晩、帝国ホテルのティールームでお茶したときのことだ。当時、朝日新聞の書評委員としてご一緒していて、それが縁で、何人かで同僚である寺尾紗穂さんのコンサートに行き、そのあとでお茶しましょう、みたいなことになった。それでたまたま帝国ホテルが近かったのでそこに入ったのだ。
僕は帝国ホテルなんてほとんど来たことがなくてビビっていて、ティールームもどうせ高いんでしょう、なんて思っていたから、迷いなく入っていく出口さんに驚いた。でも出口さんは慣れた感じで、昔、日本生命に勤めていたころわりとよくここに来てたんですよ、なんて言う。
お茶を飲みながらなんとなく世間話になり、ライフネット生命の会長時代はすることもなく暇で、やたら講演してたなー、なんて言われて、それじゃあ話すのもものすごくうまくなったでしょう、と僕が言うと、ま人並みより少しね、なんて謙遜なさったりした。いやいや、ものすごくうまいんだろうけど、出口さんは決して自慢しない。
実に本をたくさん読んでいらっしゃいますね、なんて言っても、いや僕は日本生命では大蔵省の担当で、待ち時間がいっぱいあったから、その間に読んでただけだよ、なんておっしゃる。これまで僕の周囲は学者や作家ばかりで、こうした酸いも甘いも噛み分けた、みたいな感じの大人のビジネスマンが醸し出す余裕みたいのを肉眼で直接見たことがなくて、出口さんってかっこいいなあ、なんて思ったりもした。
それが2019年の年末で、せっかくだから年初には、大分県の別府にある、立命館アジア太平洋大学に遊びに来てくださいよ、と誘われた。結局、日程が合わなくて行けなくて、それがなんとなく心残りだった。出口さんと最後に会ったのも書評委員会で、その時にはコロナが流行りだした頃だったから、春からの授業は通常通りできるのかな、なんて話をして別れた。
それからも時々は出口さんのことが気になっていた。けれど忙しさに紛れて全然、連絡を取っていなかった。この夏、何気なく書店に入り、平積みにされている本書の表紙を見てぎょっとした。あの出口さんが車椅子に乗っているのだ。どうして。急いで読み通して事情を知った。最後に会ってから1年ぐらい経った2021年の初頭に、出口さんは脳内出血で倒れていたのだ。そんなこと全く知らなかった。なんだか申し訳なかったな、と思った。
本書では、出口さんが立命館アジア太平洋大学の学長として復活するまでのリハビリの日々が淡々と綴られている。話すことも歩くこともできない状態になれば、普通は落ち込むのではないか。しかし出口さんは落ち込まない。むしろその状態をチャレンジと捉えて、どうしたら乗り越えられるかを周囲の人々と見出し、淡々とトレーニングを積んで、一つ一つミリ単位で乗り越えていく。
この迷いのない感じはまさに、僕が知っていた出口さんそのもので、だからこそ端的にすごいなと思ってしまう。リハビリのために歴史の問題集なんかをやるところもまさに出口さんぽい。誰もが無理だと思っていたのに、別府で一人暮らしをし、学長の業務をこなすまでに復活する。家の中であれば一人で歩いている。
これは端的に奇跡で、でも出口さん自身は奇跡を起こしてる、なんて意識はさらさらないようで、初めから終わりまで飄々としている。感動にもいかず、涙にもいかず、とにかく淡々としているのだ。ここに出口さんの限りない強さを感じた。
出口さんの姿を見ていると、年を取ることは悪くないなあ、と感じる。いや、むしろ本当は年齢なんて存在しなくて、その時その時の目の前の課題に全力で取り組む、そしてそれ楽しむ、というだけのことなんだろう。こうしたかっこいい大人に知り合えて、おまけに勇気づけてもらったりして、僕はとても幸運だ。
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