短編小説♯3 反対側でマスクを外す君
その子は、月、水の朝、いつもレジにいる。
自分は朝はギリギリまで寝る。早く起きても、必ず睡魔に負けてギリギリ起きて少し小走りになりながら、スーツに腕を通す。
一人暮らしにも一年もすれば慣れて、朝どれだけギリギリまで寝れるかを徹底した準備っぷりには、我ながら感心している。
そしてギリギリに起きる代償。
朝ごはんは駅で食べる。
おにぎりと野菜ジュース。具はローテーションで、野菜ジュースも三種類を交互に買う。
そして今日もその子はレジにいた。
マスクをつけているから顔の全体はわからない。
しかし少し眠たそうで、そしていつも時計をチラチラ見ている。多分あと数十分であがりの時間なのだろう。
心の中でお疲れ様と言いながら、商品を受け取る。
そしておにぎりを食べて、野菜ジュースで流し込んでから電車に乗り込む。
そして今日も、彼女がレジを担当している。
今日は、いつもお疲れ様、と言葉が自然と声として発した。
なら彼女はいってらっしゃいませ、と返してくれた。
いってらっしゃいか、一人暮らしを始めてから、当たり前の様に毎日聞いていたその言葉がすごく温かいものだということに、その時知った。
そういうやりとりを繰り返してある日。
本来リモートの予定だったが、会社に行かないといけない用ができたのでいつもより30分遅く、家を出る。
最初から会社に来て欲しいなら予定に書いてて欲しいと不満を感じながら、家を出る。
朝食をいつものコンビニに買いに行くが、彼女はいなかった。
もう上がったのかと思い駅に着くと、反対側のホームに彼女はいた。
この時間に終わるのか、とイヤホンをつけた向こう側の彼女を見たり見なかったりくり返す。
そして、彼女は周りを少しチラッと見て、マスクを外す。
整った口元。高い鼻。綺麗な形だなぁと思っていた中、彼女は深呼吸を始めた。
あれ、前動画で聞いたやつかな、4秒吸って、8秒吐くやつ、瞑想?だっけ。と想像を膨らます。
そして2分ほどそれをしているのを見ていたら、彼女と目があった。
彼女はすごく恥ずかしそうにマスクを付け直し、スマホで顔を隠した。
ここから見てもわかるくらい耳は赤い。
そして電車が来た。
電車乗り込み息苦しい車内で先程の呼吸を思い出す。
降りれたからさっきの呼吸を自分もやってみる。
スマホのストップウォッチをつけて自分は空気を吸った。
4秒吸う。意識してみると4秒も案外長いことに気づくのと肺がパンパンになっていることに意識がいく。
8秒吐く。さっきの時間の2倍、これはかなり長く感じた。先ほど溜めた肺の中は空となりそして酸素を求める。
それを2分やり続けたら、先ほどまでの会社へのイライラも消え、頭がスッキリした気分だ。
晴れがいつもより雲がない様に感じ、そして太陽がいつもより温かく感じた。
朝、いつも通りの時間に起きて、コンビニに行く。
そして今日も彼女はレジに立っていて、時計を見ていた。
そして目が合うと、駅のホームのことを思い出したのか少し恥ずかしそうにして、会釈をしてきた。
自分はいつものおにぎりと野菜ジュースを持ってレジに行く。
この前ホームで目があったね、と自分は話すと、
あの時間にいつも乗るので、でもその、深呼吸してるところをまじまじと見られて恥ずかしかったです、と彼女は答えた。
俺もあのあとやってみたんだけど、すごくスッキリするね、と感想を話す。
そうなんですよ。あそこで一回リセットして、家に帰るんです、と彼女は食い気味に話す。
他にもあるの?と質問する。
ありますよ。瞑想って奥が深いんです、と彼女は答える
自分は知りたいと思った。スッキリしたあの世界のさらに先を。
今度、教えてくれる?と聞く。
次の月曜日、早めに来てくれますか?休憩の間でよければ、と彼女は答える。
次の月曜日。
いつもより2時間も早く俺は目覚めた。
眠いと思ったし、何してるんだろうと考えた。
でもなんだろう。世界が変わる時、自分が変わる時を今感じている。
ただその子に会いたいがために、俺は早起きをした。あれだけ念入りにギリギリまで起きることを考えていた自分を裏切るが如く、今日は早く起きた。
少し深呼吸をして扉を開ける。
肺に溜まった空気を吐き出したのに、肺よりも奥の何かは、満たしてくれた気がした。