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第70椀 ひきずり(鶏の味噌すき焼き)

初出:2020年1月5日

<お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから

「お味噌汁復活委員会」は、味噌汁の大切さをあらためて発信していこうと、2014年夏にFacebookページにてスタートしました。世話人、お味噌汁復活ライター、一般読者が思い思いの味噌汁を投稿しています。

味噌汁の出汁・味噌・具材を、それぞれに深く楽しく考え広め、毎日の食卓に味噌汁をいただく習慣を復活させるべく、活動の場を広げています。

私コイタは第1期からお味噌汁復活ライターをさせていただいております。ここでは私の書いた記事をまとめて紹介しています。


テーマ:郷土の味噌料理

「ひきずり(鶏の味噌すき焼き)」

あけましておめでとうございます。今年最初はお味噌汁ではなく、豆味噌を使った名古屋の鍋料理を紹介します。

名古屋では、すき焼きのことを「ひきずり」と言います。と言っても年輩の方しか通じませんが(ちなみに我が岐阜県恵那地方では「ひこずり」と言いますが、これもほとんど若い人は知らないと思います)。由来は、鍋から肉をひきずるようにして食べたからとか、我先にと引っ張りあって食べたからと聞きました。ところで、名古屋で言うところのひきずりは高確率で鶏肉のすき焼きのことを指します。醤油味もありますが、やはり豆味噌で作るのが格別です。名古屋では大みそかにひきずりを食べて、年の終わりまで引きずって来たいらないものを、その年のうちに片づけてから新年を迎えるという習慣があったそうです。

このひきずりのルーツは、江戸時代から食べられていた「軍鶏鍋」ではないかと想像しています。軍鶏鍋と言えば時代小説「鬼平犯科帳」で、密偵とのつなぎの場に使われていた「五鉄」という店で頻繁に登場していた料理ですね。この五鉄のモデルになったお店は、今から150年ほど前の文政二年創業で、初代が岡崎から江戸まで八丁味噌(岡崎城から八丁=約870m離れた八丁村(現八帖町)で作られた豆味噌)を籠に入れて運び、軍鶏鍋を作って出したのが始まりと言われています。江戸時代は肉食禁止のはずですが堂々とお店を開いていたんですね(惜しくも平成三十年の八月閉店。本当に残念)。このように江戸時代から鳥肉や獣肉を味噌で煮る料理があり、ひきずりやすき焼きもそんな歴史の流れの中にある料理ではと想像します。

我が家流ひきずりの作り方。鍋に水、酒、みりん、ざらめ砂糖を入れて沸かし、豆味噌をよーく溶かします。豆味噌は、えっ?こんなに!というくらい濃い目に入れた方がおいしいです(色から想像するよりも塩分は少ないです)。そこへ鶏皮、レバー、砂肝、心臓などのモツを入れてくつくつっと煮えたところへ、ムネ肉、モモ肉、焼豆腐、糸コンニャク、ネギも入れてよく煮たら、最後にシュンギクをのせ、溶き卵につけていただきます。豆味噌は煮込めば煮込むほど美味しくなります。〆は味噌煮込みうどんで決まりだがや~!と名古屋弁も出てしまいます。

令和二年も引き続き(ひきずり)よろしくお願いいたします。

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「ひきずり(鶏の味噌すき焼き)」

出汁:酒、みりん、ざらめ砂糖
具材:具材:鶏肉(皮、レバー、砂肝、心臓、ムネ、モモ)、焼豆腐、糸コンニャク、ネギ、シュンギク
付汁:溶き卵
味噌:豆味噌
薬味:七味唐辛子


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