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『エッセイ』鳥も人も、この世に等しく<在る>ということ

毎週水曜日はエッセイもしくは雑文の日。今回は真面目に考えてみました。




父が遺していった庭の松を、事情があって毎年母とふたりで剪定をする。というよりむしろ、母が剪定するのを僕が手伝っているふうなのだが。伸びすぎた葉を抜き、枝を落とし、形を整えてゆく。二メートルほどの木なのだけれど、ふたりでやって二、三日は十分かかる。

昨日、脚立の一番上に立って剪定鋏を振るっていると、向かいの山の上空のずっと高いところでとびが鳴いていた。鳶というのも猛禽類だからあれで結構生きるのに必死なのだろうけれど、鳴き声があんまりのどかなので、つい手を止めてその姿を探してしまう。けれど、海辺と違ってなかなか簡単には見つけられない。真っ青な空に、掃いたような雲が浮かんでいるばかりだ(海辺と違うと言ったのは、昔瀬戸内海の浜辺に住んでいた頃、よく鳶を見かけたので)。

このあたりにはまだまだ野鳥が数多い。雀など絶滅危惧種になっているらしいけれど、うちの周りでは毎朝姦しく鳴き騒いでいる。その中に、ときどき違う声が混ざる。ごく普通に見かけるのは白鶺鴒はくせきれいだ。ひよどりも庭先までやってくるし、下の田んぼに降りてゆけば、雲雀の声も珍しくはない。鶯は春先だけかとおもっていたら、十月でも結構鳴いている。鳴き声だけではそれとはっきりわからないけれど、どうやら百舌鳥もず頬白ほおじろもいるらしい。大屋根の鬼瓦や電線に止まって、鳴きながらこちらの作業を見下ろしている。

自宅の庭から撮影。これは何の鳥かしら?

プロの庭師ではないから剪定は結構大変な作業で、母など亡くなった父に悪態をつきながらやっている。僕も仕方なしに手伝っているのだけれど、僕がいなくなったらこの木はどうなるのだろう、と、ふとそんなことを考えてしまう。いずれは誰も世話する者がいなくなってしまうのに、それでも毎年行う必要があるのだろうか、と。いっそ伐ってしまったら、ともおもうのだが、悪態をつきながらも、ひょっとしたらそれが母の今の生きがいになっているのかもしれない。

例えば鳥たちにしても、いったい何のために生きているのだろうか、と、そんなふうに考えたことはないだろうか? 人は何に対しても感情移入することができるので、鳥を見てもそこに恋愛行動をおもったり、人と同じようにご近所付き合いを考えたり、そんなことをするけれど、実際はただ生きているだけだろう。毎日、ただ生きて、そして子孫を残す。子孫を残すためにだけ、毎日鳴き交わしている。そんな生に、いったい何の意味があるのだろうか?

辻邦生さんの短編の中に『秋の朝 光のなかで』という、ごく短い掌編がある。レビューを書くほどでもないので書かずにいるけれど好きな一編だ。簡単に内容をご紹介すると、

港で職を見つけた「ぼく」は、他の労働者と同じようにT**という名の気のいい親父の店で食事をするようになった。ある秋の初めの霧の朝、店先のテーブルで「ぼく」が食事をしていると、見知らぬ男が煙草を求めに近寄ってくる。男に煙草をやり、パンとミルクを薦め、いろいろな話をしていると、やおら、男は自分が脱獄囚であることを明かす。「ぼく」は男に逃げるように言ってやり、男は礼を言ってその場を後にするが、警官と看守が男のあとを追って走ってゆく・・・

『見知らぬ町にて』 新潮文庫/「秋の朝 光のなかで」

その中の「ぼく」と男の会話に以下の一節がある。

(「ぼく」が男に港での仕事を薦め、ここでは身元なんて誰も問題にしない、と言う。)
「それにここでは誰もが働きすぎません。その日のものだけをその日に稼ぐんです。あとは神さまにとっておくんです」
「あなたは神さまを信じているんですか?」
「あ、ごめんなさい。これは相棒の男の言い草なんです。でも、ぼくもそう思っているんです。ぼくも余分には働かないんです。余分に働くと、神さまの造ったものを、ゆっくり味わう時間がなくなると、相棒の男は言うんです。神さまは、自分の造ったものを ⎯⎯ つまり青空や太陽や季節や風を人間に味わってもらいたいと思っているんだ・・・その男はそう考えているんです」
「哲学者ですね」

『見知らぬ町にて』 新潮文庫/「秋の朝 光のなかで」より

この一節が好きでもう何度も読み返したものだ。これを初めて手にしたのは今と違って毎日のように夜中まで残業をしていた頃で、これでは神さまが造ったものを味わう時間なんて全くないじゃないか、そんなふうにおもっていた。でも今は、これはあまりに人間に寄せすぎた考えだとおもっている。この伝でいくと、鳥の鳴き声も、花々も、すべて神さまが人に味わってもらいたくて造ったものになってしまう。鳥や、獣や、木々や花々の存在意義は、人を基準に考えるべきではないだろう。例えば量子力学などでは、人が見たその瞬間だけそのものは存在するらしいけれど、でも人がいないところでも、いや、寧ろ人がいない森の奥とか山深い場所のほうが、動物も植物も、自由にそこに在るようにおもう。

では彼らはなぜ存在するのだろう? <在る>ということについて言えば、人も同じなのではないだろうか?

人生に折り返しなどはない、ということを、僕はこちらの詩に書いた。

生きがいが欲しい、そう思い悩む人もいるだろう。定年になっても、まだあと何十年かは生きなくてはならない。自分は健康で体力もあり、年齢の割に老化も進んでいない。このまま毎日を無為に過ごしていいのだろうか、曲がりなりにも会社では、それなりに力を発揮してきた。でも今は、何の役にも立っていない・・・そこで、「第二の人生」などということを考え始める。

でも本当にそうだろうか?

僕は、第二の人生などというものはないとおもっている。そこに、あなたという人がいるだけだ。この世に生まれてからお迎えが来るまで、あなたの人生があるだけなのだ。

いや、もっと言えば、人は時間を超えて常に在り続けるものだと、僕はそう考えている。それは、鳥や、動物や植物たちと何ら変わりなく、ただ<在る>ということだ。

例えばスティーブ・ジョブズという人がいた。あのアップルの創業者で、彼の業績は計り知れない。彼がいなければ、コンピュータ業界はもっと違ったものになっていたかもしれない。でも、と僕は考える、それもすべて、彼がこの世にあったときだけのことだ。もちろん業績は残り続ける。その意志や、創造力を受け継いだ人もいるだろう。スティーブ・ジョブズという名前も、歴史に永遠に刻まれるだろう。

けれどそれらはすべて<スティーブ・ジョブズ>であって<彼>ではない。<彼>というひとりの人間がスティーブ・ジョブズだったので、<スティーブ・ジョブズ>が<彼>だったわけではないのだ。<彼>は僕やあなたと同じ、ひとりの人間に過ぎなかった

名前はその人をその人たらしめる、その人が生きているあいだだけの符号だと、僕はそうおもっている。人は名前という符号によって存在を認められ、価値付けられる。人だけではない、この世に在るすべてのものは、名前によって存在を許されているようなものだ。でもそれは、そのものが存在するときだけのことだ。AIなど人が作り出したものは、価値がなくなれば名前を失うけれど(そう言って悪ければ、名前を忘れられてしまうけれど)、人も含めたすべての命あるものはそうではない。

価値=名前 であって、 価値=人 ではないのだ。

そうではないだろうか?

人=価値であるなら、価値がなくなったとき、あなたは存在してはならないことになってしまう。けれど、この社会で何の役に立たなくても、あなたはあなたとしてそこに在る。そこに在り続ければよい。存在自体に価値がある、などということは僕には言えない。在ることと価値があることとは違うとおもう。

僕は僕である前に、あなたはあなたである前に、ひとりの人なのだ。死んだらそれですべて終わり、と言う人もあるけれど、僕はそれも肯定しない。死んだことがないので否定もしないけれど、(繰り返しになるけれど)人は人として、時間を超えてずっと在り続けるものだとおもっている。そして、時代時代で名付けられ、それぞれの時代に合った価値を与えられる。役割、と言ってもいいかもしれない。その価値に大小はない。(あなたが自分で選んだとしても)何か大きなものの力によって与えられた役割をこなし、あなたの名前は(まるでCMのようだけれど)誰かの記憶に残されてゆく。ただ、あなたが役割を終えたとしても、この世で生き続ける限り、あなたという人は<在る>のだ。<在る>ことが、差し当たっての意味なのだ

便宜上、それを神と呼んでよければ、神の前で、鳥も、獣も、木々や花々も、そして人も、すべては同じように<在る>ものだ。<在る>ことにどんな意味があるのかは、それは大いなるものの意思によるので、僕などにはおもいも及ばない。でも<ただ在る>ことにも何らかの意味が、きっとあるのだろうとおもう。同じように<在る>人が、スティーブ・ジョブズになるのか僕になるのか、その差も僕にはわからない。でも<ただ在る>ことにおいて、天皇陛下も、あなたも伊藤沙莉さんも、みな等しく同じだと、もっと言えば、雀も鹿も菊の花も、等しく<ただ在る>のだと、僕はそんなふうにおもうのだけれど、さてみなさんはいかがだろうか?
雨が降っているというのにうちの周辺では、今日も野鳥たちが騒いでいる。




今回は真面目な文章です。たまにはこういうものも書かないと、訳のわからない詩とおふざけだけだと思われてしまいそうなので(汗)、こういった文章も書けるんですよ、誤解のないように。ニコニコ。
根が真面目なもので、常日頃こんなことを考えていて、こちらの詩にも反映してますけれども。

人生観、と言ってもいいかもしれませんが、あくまでも僕のおもい、ということで。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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