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自由詩のマガジン

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自作の、行替えされた普通の体裁の詩です。癒しが欲しいときなどぜひ。
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2024年9月の記事一覧

『詩』二十九人のオルタンス

目の前に 今見えている風景は と画家が言う 見えている風景は一つだが それを見ているのは君と僕だ そして画家はこうも言う 見ている風景は一つだが 時間を止めることが誰にできよう? 彼はオルタンス・フィケを語る <紫陽花>あるいは<庭>という名の 愛されなかった女性について 僕なら と彼は言う どちらか一つというのは無理だったろう 愛するか それとも描くか? あの画家は愛することはなかったが 生涯描き続けたのだ けれど それは本当だったろうか? 暗い 虚ろな時代を経て 画家

『詩』こだま

やまみち やまみち   つりがねそう   あきののげし やまみち やまみち   ななかまど   くだって     くだって       もっとくだって         のぼって       のぼって     もっとのぼって   とうげみち とうげのいただき こだま おお〜い おお〜い おお〜い お〜い      お〜 ・・・い い い ・・・ やっほー やっほー やっほー っほー      っほー ほー ほー ほ ・・・ あいしてる あいして

『詩』九月生まれのあなたへ

九月生まれは優しいと いつか聞いたことがある 終わりそうで終わらない夏と 始まりそうで始まらない 悩ましげな秋との狭間で あなたはどんな意志を持ったのか 科学的に言えば 地軸が傾いているために 太陽が 赤道の真上にある季節 それが春と秋なのだそうだ 日差しが平等に降り注ぐ そうしたことが あなたの優しさの源なのか? フランスを愛して止まなかった あの小説家は 九月に生まれ 九月に初めての小説を書いた 溢れ出る言葉は泉のようで 激しさはないが 煌めきと 強さと豊かさに満ち満

『詩』山上の寺の本堂で

本堂の 四十畳ほどの外陣の中央に いつか私は端座している 五重塔を備えた 古い大きな寺だ 回廊の蔀を押し上げると 森はずっと下にあって 鎮まりかえった木々の奥に 時折ルリビタキの声が響く 深い山の上の大きな寺だ 遠くに眼をやると やがて木々の種類は目立たなくなり 紫の尾根が幾重にも 遥かな先まで連なって ついには空との区別もつかなくなる そんな山の上の寺にいて 外陣の中央で たったひとり 私はきちんと正座して 本を膝の上に開いている 外陣と回廊を限っている 障子はすべて閉

『詩』月の昏い夜には

月の昏い夜には南の空の 秋のひとつ星より高い所に 幽かに白い 大きな長方形のスクリーンを張って サイレント映画を掛けましょう あなたがずっと好きだった ジョルジュ・メリエスの あのフランスの無声映画や 喜劇や悲劇や恋愛映画を 一緒に幾つも楽しみましょう あんまりスクリーンが明るいと 秋の夜空の邪魔になるし 星空が 透けて見えてしまっては キャストの顔があばたになるし 加減がとっても難しい 暑かった夏がやっと終わって 夜は急に冷えてきたので ストールやらショールやら ブラン

『詩』ピアノ

その雫を 私に受け取ることが できるだろうか それらの曲を奏でるとき そのときだけ 弦はいのちの震えとなって ハンマーを一心に受け止める そうやって 真摯に奏でられる 触れれば弾け散るような ひいやりと 幼子のようなその雫 ⎯⎯ その音色を 私は私の拙い言葉で 描き出すことができるだろうか? けれどそんなとき それこそありふれた言い方だが 言葉は役に立たないことを 私は知っている 本来意味を抱く言葉たちが 雫の前では 私は無意味になるのを知っている それはいったい何という

『詩』曼珠沙華

くっきりと 季節を限ってその花は咲く 夕焼けを 引き下ろしたように 凛として 遠い昔に教えられた 自分は寿ぎの讃歌だと だからそれは 一斉に並んで花開くのだ そして その身に危険を孕んでいるのだ 恙なく その役割を果たすために 稔りの季節をゆくときには その歌を 耳にすることができるだろう 自らこそがその歌だと 真っ直ぐにピンと背筋を伸ばし 凛として立つその晴れ姿を 人は眼にすることができるだろう 風景を ぐいぐいと太い筆で力強く あたかも縁取るようなそのさまを 季節が

『詩』誰かの思い出のように

どっしりとした、四角い花崗岩の門柱が 正門に建っていたことを 私はどうして忘れていたのでしょうか? 切妻屋根の車寄せと 両翼のように 三階建の木造校舎が均等に 車寄せを中心に左右に伸びていて 薄緑色の ペンキの剥げた格子窓が 行儀よく こちらに向いて並んでいるのは 昨日眼にしたばかりのように はっきりと私は覚えているのでした エンタシス様の 切妻屋根を支える二本の柱の間を通り 正面玄関から中へ入ると 誰もいない建物のなかは森閑として 木造の 親柱に始まる手摺りを持った 幅の

『詩』秋かしら

水風船をアスファルトに叩きつけたように 日差しが炸裂する 真っ白な 眩いスクランブルの向こうから 大きく弧を描いてマルーンの 路面電車が近づいてくる 線路を横切って 停留所に駆け込んだ拍子に 少年の ズボンのポケットからそれは落ちて 停留所のタイルでカツン、と跳ねる 路面電車の窓に貼り付いて 乗客たちがこっちを見ている 今しもデッキに足をかけた少年と 跳ね上がった アンティークの真鍮の棒鍵が重なって 束の間 時間が静止する 秋かしら、本当に? *タイトル画像はこちらを使用

『詩』ある人生

昼下がり 東の窓辺に向かう机で本を読んでいると 懐かしいものたちが こっそりと 窓の向こうにやってくる 男は本に没頭していて そんなとき バッキンガム宮殿の大広間であったり 紫宸殿の庭先であったり 教王護国寺の回廊であったり あるいは 貧しい農家の牛小屋であったり 他にも山の上から都会の四辻まで あらゆる場所で 男は立ったり座ったり ときには横になったりして 目の前で繰り広げられる人間模様を 直に 芝居のなかに入り込んで眺めていた だから ふと頭を上げたとき ぼんやりと 靄の

『詩』永遠(とわ)に

私たちは歩き続けてゆきました 満月の 冷たく照らし続ける道を あんまり月が明るすぎるせいで 照らし出された道だけが 遠く誘っているように 白々と ただ真っ直ぐに伸びていて おかげで闇が黒々と 一層深く 暗鬱なのでした 戸口に下がったランプを頼りに 道の脇の 私たちは杣人の家で水を求め 暗闇の奥に 何ものかの 咆哮にときには怯えながら 私たちは 歩き続けてゆきました 満月は ときには木々の陰になり ときには不意の黒雲に 光を遮られながら 私たちを 見捨てることはありませんでし

『詩』コスモス

僕が車を走らせると 風が舞って 道端に並んだコスモスが きゃらきゃらと 皆いっせいに騒ぎ立てる 若さに成り立ての少女のように この町は海抜が高いので ほんの少し季節が早い そのせいか そこには僕たちの あたりまえの暮らしはない その代わり 朝のミルクと チーズとパンと ごく自然に 神様との会話が溢れている 道端のコスモスの群れが点々と 僕を畑へ導いてくれる コスモスは気位が高いので 大勢集まると淑やかになる けれど 本当は誰より目立ちたくて 顎を上げ 細い首をいっぱいに伸

『詩』その歌に 〜Asu「夏物語」に添えて〜

その歌に 心震え その歌に 涙して その歌に あの人を思い その歌に 旅愁を誘われ その歌に 胸が苦しくなるほどの 切なさを抱く こんなにも どこでもよい だれでもよい そば近く 並んで座り 私と共に ほんの少し 耳を傾けてくれないか その歌に 押花作家のフルレットさんに、こちらを教えていただいて、 この「わらし」という動画に関わっている人をいろいろ探っているうちに、Asuというアーティストに辿り着きました。上の動画、13年も前のものなんですねー。曲

『詩』絵本/揚羽蝶が

Ⅰ 水平線を 揚羽蝶が飛んでゆく わたしはフェリーの舷側に立って その黄色い揚羽蝶を見ている 波頭と 水平線と それから 黄色い揚羽蝶 他に見るものが何もないから わたしはずっと 揚羽蝶のことを見ている 午後の日差しが背後に回って 揚羽蝶がよく見える その羽ばたきが  ⎯⎯ あんなに羽ばたいて疲れないかしら そんなことをおもいながら こんな水平線の上に 本当なら いるはずのない揚羽蝶を わたしはずっと見つめている スクリューと その波音が聞こえている甲板で 水平線だけがある