日常のことばに詩は宿る―詩人・高見順について
すこし文学史めいた話からはじまってしまい恐縮ですが、「無頼派」ということばを聞いたことがありますか?
講談社から刊行されている『日本近代文学大事典』には、こう書かれています。
「敗戦直後の昭和二一年から二四、五年あたりにめざましい活躍をした一群の文学者たちに与えられた名称である。その範囲は明確ではないが、通常織田作之助、坂口安吾、太宰治、石川淳、壇一雄、田中英光らを指し、平野謙、福田恆存、奥野健男は、伊藤整、高見順らをそれに加えるような評論を発表している…」うんぬん。
わたしが今日お話をしたいと思ったのは、その最後に名前がでてくる、高見順という作家についてです。
高見順は、1907年、福井県に生まれました(没年は、1965年)。「故旧忘れ得べき」で第1回の芥川賞の候補にあがったことで注目をあび、そののち、『如何なる星の下に』『わが胸の底のここには』などの小説をのこしました。
残念ながら、現在、高見順の小説は、絶版とはいわないまでも、けっしてアプローチしやすいものではありません。講談社文芸文庫に収録されているものもいくつかありますが、そのレーベルの特性上、かなり大きめの書店に行くか、古本屋にあたってみるかしなければ(あるいはアマゾンで買うか)、なかなか手がとどくことがないでしょう。
ただ、とはいえわたしじしん、高見順の小説を好んで読んできた、というわけではありません。わたしはむしろ、彼の書く「詩」のほうに(彼の「詩」への向きあいかたに)、共感をおぼえるものを多く感じてきました。
高見順の詩は、もしかすると、いわゆる「現代詩」を正統な詩だと考えるひとにとっては、受け容れにくいものがあるかもしれません。彼の書く詩は、じつに達意平明、というか、ともするとあまりにも「散文的」すぎるかもしれません。
四の五のいうまえに、いちど、彼の書く詩をのぞいてみましょう。
こつそりとのばした誘惑の手を
僕に気づかれ
死は
その手をひつこめて逃げた
そのとき
死は
慌てて何か忘れものをした
たしかに何か僕のなかに置き忘れて行つた(「死」)
「現代詩」のなかには、たとえばシュルレアリスムの詩など、意想外なことばの組み合わせによって、ことばを日常的な用法から脱皮させることをめざすものがあります。
しかし、高見順の詩には、むしろことばの日常性を尊重し、積極的にそこにとどまろうとさえするかのような、そしてそれによって「詩」へと到達しようとするような、したたかな意思が感じられます。
ガラスが
すきとほるのは
それはガラスの性質であつて
ガラスの働きではないが
性質がそのまゝ働きに成つてゐるのは
素晴らしいことだ(「ガラス」)
詩人の井坂洋子は、高見順の詩を、「それらはある枠内に収まっていて、あえてそこを突き破ろうとはしていない」と評しましたが、じつに絶妙な批評です。たしかに高見順の詩には、「あえて」枠内に収まろうとするような身ぶりがあり、しかしその身ぶりが、逆説的に、わたしたちを詩のほうへとやみがたくいざなうことになるのです。
高見順が詩を本格的に執筆、発表するようになるのは、小説家としてのキャリアを積んだあと、40代以降のことです。さきほど引用したふたつの詩は、いずれも、その初期に書かれた『樹木派』からの引用ですが、彼の詩への態度は、最晩年の詩集『死の淵まで』にいたるまで、ほとんど変化をみせていません。
難解なものこそ「現代詩」だ、わからないものにこそ「詩」は宿る、と考えているひとにはあまり向いていないかもしれませんが、詩もひとつの「コミュニケーション」だと感じる読み手には、ぜひ手にとってほしい詩人だと感じます。
1970年から50回にわたって続いてきた「高見順賞」。実力ある詩人を顕彰する賞として歴史あるものでしたが、昨年で幕をおろしてしまいました。
今年から、ひとり勝手に「続・高見順賞」でも執り行おうかしら。なんて。
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