隠れた名作家ここにあり―書評『愛についてのデッサン』野呂邦暢
つい2日まえ、ちくま文庫から垂涎の一冊が刊行されました。それが、こちら。野呂邦暢の『愛についてのデッサン』。15年ほどまえにみすず書房から単行本が再刊されていましたが、文庫の収録は今回がはじめてです。
とはいえ、そもそも、けっして知名度のある作家ではないかとおもいます。大学で近現代文学を専攻している学生でも、もしかすると、あまり耳にすることがない作家名かもしれません。
野呂邦暢は、1937年に長崎県長崎市に生まれ、1973年に『草のつるぎ』で芥川賞を受賞しましたが、1980年、わずか42歳の若さで亡くなりました。
芥川賞を受賞した1970年代でこそ、野呂の作品はつぎつぎに文庫化され、当時はそれなりの読者を獲得していただろうことが推察されます。
ですが、1970年には、いわゆる「内向の世代」を代表する古井由吉が「杳子」で芥川賞を受賞し、1976年には、村上龍が「限りなく透明に近いブルー」でやはり同賞を受賞していることに鑑みて、不幸にも、ちょうど文学史の「エアポケット」に入ってしまった観がいなめません。
ただ、もしかすると、わたしとおなじようなかたちで野呂邦暢という作家と「出会った」ひともすくなくないかもしれません。
その「出会い」とは、センター試験です。2003年のセンター試験(今年から「共通テスト」に名称が変わりました)に出題されたのが、野呂の「白桃」という短編であり、わたしは過去問を解くなかでその存在をしりました。
いまでも、その小説を読んだあとの、光彩陸離たる異様なイメージが脳裏にこびりついています。
戦後の食糧難の時代を舞台にしたその小説は、父親から米のはいった包みをもたされた幼い兄弟が、その換金を待つあいだに酒屋のテーブルで「白桃」の皮がむかれるさまを目のまえにする、という話です。
父親のもたせた包みには屑米と糠とが混ぜられていたために、兄弟はけっきょくお金を手に入れられないまま帰路につくのですが、白桃、金木犀、月の光といったイメージの連続に投影されるその兄弟の心情の暗示がじつに巧みで、「こんなに美しい短編があるなんて!」と、受験生だったわたしはとても問題を解くどころではなくなってしまいました。
残念ながら、この「白桃」は、このたびの文庫『愛についてのデッサン』には収録されていませんが、古本屋の若い店主を主人公とした表題作のほか、「白桃」にまさるともおとらない、「恋人」「隣人」「鳩の首」といった名短編のかずかずが収められています。
昨年には、堀江敏幸が解説を書いている『野呂邦暢ミステリ集成』という一冊も中公文庫からでており、またすこし、野呂邦暢再評価の機運が高まりつつあるようです。
なんだか『愛についてのデッサン』の書評というよりも、「白桃」をめぐる思い出に着地してしまいましたね。まあ、いいでしょう。
ところで、試験やテストで読んだ文章が、ずっと心に残りつづける経験ってありませんでしたか?
センター試験に関していえば、野呂邦暢の「白桃」のほか、堀辰雄の「鼠」と堀江敏幸の「送り火」という短編が強烈な印象をわたしにあたえました。
堀江敏幸の「送り火」のほうは、その小説にでてくる「シル、ク、ロード」というフレーズが、高校生当時、友だちとのあいだで謎に流行語になった一時期がありました。
あれ、今度は「送り火」をめぐる思い出に着地してしまいました。失礼。