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【文学紹介】蜜柑を剥く手に漂う恋情 周邦彦:少年游
1:はじめに
こんにちは。昨日は冬至でしたね。
上海は相変わらず寒さが増し、夜中には氷点下4度まで気温が下がるなど
えらく寒い日が続いております。
冬至といえば水餃子や汤圆と呼ばれる白玉のような
食べ物を食べたりなどするのが中国では恒例なのですが、
急な気温の変化のせいでめっきり体調を崩してしまい
今年はそうもいきませんでした。。。
日本では柚子を湯船に入れる習慣があるためか
冬至の人なると、汤圆より先に柑橘類を連想してしまいます。
今回ご紹介する作品は冬至の日の作品ではありませんが、
冬の日と蜜柑が登場する作品です。
蜜柑の香りや登場人物の息遣いが間近に伝わってくるようで
とても好きな作品ですので、よければ読んでいってください。
2:周邦彦について
まずは恒例の作者紹介と時代背景の解説です。
周邦彦(しゅうほうげん)という名前は聞きなれない方が
多いかもしれませんが詩ではなく詞(ツー)で大変有名な人物です。
彼は北宋時代後期に活躍した文学者です。
北宋とは唐の次に混乱の五代十国の時代を経て成立した統一王朝です。
第1回で紹介した李煜は五代十国時代の人で彼もまた詞で有名でしたね。
中国では古典文学(韻文による文学表現)のことを総称して
「唐詩宋詞」という言い方をすることがあるのですが、
詞は詩と並んで重要な韻文形式の文学作品として位置付けられています。
詩も唐詩といい、日本のように「漢詩/汉诗」とは言わないんですね。
そして「宋詞」と言われるように、
詞は宋の時代に大きく発展するのですが、
周邦彦は詞の表現を精錬させ後世の模範となる作風を確立した人物として
非常にビッグネームな存在なのです。
(「詞の世界の杜甫」みたいな言われ方もあるくらいです)
彼自身は、浙江省杭州銭塘の人で、
比較的早い時期から文学や音楽の才能を認められ出世していきます。
風流天子と呼ばれた徽宗皇帝の時代には
彼が設立した大晟府(音楽所)の長官に任命されるなど、
文学や音楽に関わりの深い仕事を任せられるようになっていきます。
そして彼のこうしたキャリアは
詞における作風や風格にも大きく影響を与えていくことになります。
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3:詞と詩の違いについて
詞と詩では、用いる文字数がそもそも違うという他に
それぞれで表現するテーマや内容にも大きな違いが存在しています。
ざっくりいうと
詩では政治的意思、志や思想、自然や友情など「硬め」な内容が、
詞では恋愛や男女のこと、それに紐づく別れや花鳥風月など
「柔らか」めな内容がそれぞれ語られます。
もちろん例外はあるのですが、
詞がメジャーとなり政治家や文化人たちが詩と詞の両方を嗜むようになる
宋代ではそれぞれの区別・役割分担が意識的なのか無意識的なのか、
顕著になっていきます。
これには士大夫という科挙官僚が文化を担うことが通例となった
宋代の社会的な背景も大いに影響しているのですが、
これとは別に詞の成り立ちも大きく関わっていると思われます。
詞は元々唐代に西域の新しい音楽に言葉をつけた、
いわゆる流行歌からスタートをしています。
歌われる場所も今でいう劇場や、妓楼のようなお酒の席がメインで、
内容も哲学的な難しい内容ではなく男女の仲や花鳥風月などが中心、
また言葉も俗語や方言が用いられるなど
総じて、「民間や大衆」に比較的近い立場の文学表現だったのです。
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そのため唐代の詞は「民間の恋の歌」のようなものが中心だったのですが
五代十国には李煜が「人生の憂い」のような要素を追加することで
内容的に詞は大きく発展しました。
北宋に入ってもこの路線は基本的に継続・発展し、
また表現にも改革が試みられます。
この間の発展の内容は割愛しますが、
周邦彦は上述の詞の基本路線に対して「渾厚和雅
(奥ゆかしさや格調高さ)」を加えた、とされています。
典故表現として唐詩の言葉を用いる、各句の展開にこだわり
奔放すぎる感情の表出や冗漫な叙述を避けるなどなど、
詞の元々持っていた臨場感や個人の感情の発露、
ある種の戯曲的な感覚は維持しつつ
それをより余韻のある言い回しで、雅な言葉を用いて風格ある感じで
表現することに成功したというイメージでしょうか。
4:次回に続く
こちらも例の如く、前置きが相当長くなってしまいました。
今回も記事を前編後編に分けて紹介できればと思いますので、
後編も懲りずにご覧いただけますと幸いです!