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広島のお菓子🍡:亀屋の川通り餅

広島のお土産といえばもみじ饅頭が有名ですが、川通り餅も実は銘菓なのです。

……と言っても、私も今年まで食べたことあるようなないような…?というあいまいな記憶しかなかったので、この度の帰省で買って帰ってみました♪

というわけで、実食編です✨

実食編!

この度は5つ入りを購入しました
日持ちは7日程度ということですが、早めにいただきましょう♪
一本ずつ竹串に刺さっています
すごくかわいいサイズでペロッと食べられてしまいました
袋から出すとサイズのかわいさがわかりますね!
ぱくぱくぱくっと食べたらすぐなくなってしまいます笑
厚みはこんな感じです
柔らかくてもちもちの求肥にクルミが入っています
甘すぎず、とっても食べやすいお菓子です


川通り餅ってどんなお菓子なの?

お餅自体は、柔らかな求肥は甘すぎずクルミがアクセントになっていて素朴で美味しいお菓子です。
また、一つずつが小さいため気が付けばぺろりと目の前に出された分は食べきってしまうような、そんなお菓子です😋

さて、そんな川通り餅ですが、実はとっても歴史があるお菓子なのだそうです。

亀屋 「川通り餅」の由来
毛利氏は大江広元の子孫と伝えられ、相模(神奈川県)におこり、南北朝時代に安芸国に移り、元就のときに大きく飛躍しました。正平5年(西暦1350年)、元就の祖先である師親が、石見の国の佐波善四郎との戦いで、江の川を渡ろうとしたとき、水面に小石が浮かび上がり、あぶみに引っかかりました。師親はそのまま戦い、大勝利になりました。これは神の助けに違いないと、小石を持ち帰り宮崎八幡宮に奉納しました。師親がおさめる安芸国吉田の庄では、これを祝って、餅を小石に見立てて食べる風習が生まれ、この餅は「川通り餅」と呼ばれるようになりました。元就の孫にあたる輝元が広島城に移ると、この風習は広島に広がりました。
(参考:芸藩通志 芸備今昔話)

亀屋のウェブサイトより

広島城と言えば毛利なのですが(三本の矢ですね!)、毛利と川通り餅に縁があるとは全く知りませんでした。

毛利輝元が生きたのは戦国時代~江戸時代初期だそうなので、「川通り餅」自体は400年以上の歴史があるということになるのでしょうか…!

そんなことはつゆ知らず、お菓子自体というよりは、おまけに書いたCMの印象がとっても強いお菓子だなという印象でした笑。

実はもみじ饅頭以外にもある広島の銘菓、ぜひぜひご賞味ください✨

ぱくぱく食べられる素朴で美味しいおやつ😋


☟&Premiumでも紹介されていました!

☟お店の情報はこちらです。


おまけ

広島出身の人は一度は見たことがあると思われるのが、この川通餅のCMです。

子どもの頃はこの不気味さだけが頭に残っていて、まさかお菓子のCMだなんて思っていませんでした笑。

時々アンガールズの田中さんもこのCMのモノマネしてますね。
一度見たらものすごく印象に残るCMですので、よろしければご覧ください笑。


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koharu
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